Author Topic: Variable Geo light Novel scans  (Read 39983 times)

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #20 on: July 26, 2009, 08:56:23 pm »
More, pages 50 to 58. Third part of Fire of disaster chapter.




「そんな・・・・・・・・・・…・・あたしがなぜ謹慎を!?」
  聡美の声が濡洒な校長室に響いた。
  高価そうな調度品が嫌味なく上品にまとめてあり、むしろ一見質素に見えるくらいだった。
  壁の半分が天井まで届く書棚で埋まっていた。分厚い辞典から、哲学、文学、今話題のべス
トセラー、若者向けの雑誌までバラエティーに富んだ蔵書だった。
  今まで目を通していたらしい文庫本が、重厚な色をもつマホガニー製デスクの上にある。
  カラフルな色のイラストが表紙を飾るジュブナィルの文庫だ。  ュt
  何か気に入った表現でもあったのか、ミドルティーン愛用の本に付箋を貼っているあたりは、
随分と感性の若々しい校長であるようだ。     
  しかし、聡美に向けられた目は、威厳を持った学び舎の長のものである。
「八島、口答えは許さん!」
  やや低く絞った声で聡美の抗議をはねつけたのは、デスクの傍らに立つ教頭だ。
  厚いメガネの裏に羊のように落ちくぼんだ目がある。神経質で有名な男だった。
「納得いく理由を聞かせてください。放火の疑いは晴れたはずです・・・・・・・・・・・・それなのに」
「何度言ったらわかるのです!ハイと返事して下がればいいのです――」
  教頭の金切り声にうんざりしたのか、校長は回転椅子の背もたれを軋ませ、よく晴れた校庭
に正面を向けた。
  背中越しに教頭に言う。
「いいから二人にしてくれないか教頭先生」
「ハ?しかし校長先生、この八島聡美は教師を投げとばしてケガを追わせた凶暴な・・・・・・・・・・・・」
                                        げっこう
  聡美の異を唱える目を見て、教頭はさらに激昂した。
「何だ君その反抗的な目は。野良犬みたいな目で!まさかあの噂は本当なのかね――君はず
いぶん転校が多いようだが、各校で大事件を何度も起こしてると生徒たちが言っているぞ!」
「教師が確証もない噂を鵜呑みにするものではない」
        かっぷく
  校長は恰幅にあわせた重い声でたしなめた。
  怒鳴ったわけでもないのに、よく通る太い声だった。
  教頭がしゅんとなって、そそくさと校長室を出てゆく。
  ドアが閉まると同時に、校長はくるりと椅子を回して聡美を見た。
  笑っている。先程までとは別人のようだ。
  この校長もまた旭神館で空手を学んだ一人だった。いろいろと問題を抱えた聡美を、この学
園に転入するよう勧めてくれた人物でもあった。
52

「聡美ちゃん、大変な騒ぎに巻き込まれてるな、公私ともに」
「フウ・・・・・・・・・・・・す、座っていいですか校長先生」
「以前のようにオッチャンでよい」
「ダメですよ、ここは学校ですから」
聡美はへナへナとソファにへたり込んだ。
今日一日、登校してからこの昼休みまで、心は固く張りつめたままだった。クラスメートは
もとより、全校生徒の誰とも話していない。そういう雰囲気ではなかった。
  目が合うと、さっと顔をそむける者すらいるくらいだった。
誰にも迷惑をかけないように、目をつけられぬように徹底してきた苦労が水の泡だった。
  放火騒動、そして体育教師の一件があり、この二日間の内に校内は聡美の噂でもち切りにな
つていた。誰かの財布や下着が無くなったとか、そんな事まで聡美のせいにされる始末だ。
  話に尾ひれがついた上に、転校前の聡美のことが話題に火をつけたのである。
  転校前の学校のワル共と衝突し、数人にケガを負わせたとか、その仕返しに呼ばれた有名な
チーマー共を一人で叩きつぶしたとか、その手の武勇伝だ。
  ほとんど事実だった。
  十指にあまるそれらの事件の内で、間違いがあるとすれば、チーマー全滅伝説の件くらいの
もの。
  チーマーをやっつけた時はたまたま優香が一緒で、二人で二十人近くを半分ずつ倒したのだ。
聡美一人ではなかった。
  どの事件も多勢に無勢の正当防衛だったし、相手に一方的な悪意と落度があり、その度学校
や警察に大目玉をくらって、後はお咎めなしだった。
  しかし、噂などというものは良心的な方向へ拡大することは皆無なのだ。的になる者は常に
悲しい目にあうように出来ている。
  この学校のどこかに、きっと聡美の中学以前、小学校時代かそのさらに前のことを知る人間
がいたのかもしれない。でなければ伝わるはずのない決定的な噂が加わることもなかったし、
聡美が恐るべき大悪党と化すこともなかっただろう。
  放火魔、あるいは魔女ーーと呼ばれた頃のことである。
  最も知られたくない過去だった。
  聡美の身辺には、常に火災がつきまとった。
  今まで身をよせた七つの親戚の内、二軒の全焼を含め、必ず何らかの火災が起こり、そのた
びに追い出され、転校を繰り返していた。
  転校した学校でも何度か今回のようなことが起こり、いつも聡美は疑われてきた。
  誰からも悪魔の子とさげすまれ恐れられて生きてきたのだ。
  誰かの過失だったり、あるいは放火犯がつかまることもあったし、原因不明のこともあった。
しかし、どんな場合ぞも初めに疑われるのは彼女だった。
  いつの頃からか、彼女は本当に自分は魔女であるのかもしれないと思うようになっていった。
54
聡美が小学生にあがったばかりの頃、二度目にもらわれていった母方の遠縁の家で、そう思い
始めるきっかけがあった。
                                              せっかん
  聡美はその家の主人に疎まれ、度重なる折艦をうけていた。
  その男は、聡美のびくびくした態度と恨みがましい目が嫌いだと言った。
  真冬の夜、庭にあった井戸水をかじかむ手で汲まされることもあった。そこは、ちゃんと水
道のひかれた家だったのに。
  ぶたれたり蹴られたりもした。
  しかし、まだよちよち歩きの弟をつれた聡美に反抗の手立てはなかった。行くあてがないこ
とを知っていたのだ。
  ある日、その男が酔った勢いでこう言った。
「親父もおふくろも、おまえが焼き殺したんだろ。車の中で焼き殺されて、それで車ごと海へ
突っ込んだんだ。そうだろ。本当のことを吐いてみろ!」
  聡美を蹴り倒し、幼い大介の腕をつかんで宙づりにした。寝ていた大介はとたんに泣きだし
た。それから、ボロ雑巾を捨てるように投げつけた。
  蒲団の上に投げるつもりが、酔ってよろけて方向が狂っていた。
                                                                             とが
酒乱の男が前に蹴破った障子の方へ飛んだ。格子が折れて、先端が尖っていた。
  聡美は必死に弟の体を受け止め、障子に突っ込んだ。右腕から血があふれた。
  その傷口の熱さと怒りの強さで、子供ながらに目を?剥いて男を見返していた。
  聡美の腕から血が吹き、その飛沫が空中に舞って男の方へ走った。
  その時ーー
  ぼっ、と火が生じた。
  男が片手に持っていたウィスキーグラスの中に、聡美の血が落ちた瞬間だった。
  撚えあがるウィスキーの熱でグラスが割れ、褐色の液体が宙で泳ぎはじめた。
  半分が男の顔にかかり、半分が上着にかかって燃えあがった。ポリエステル製のシャツに炎
が広がり、一気に片腕と胴体を焼いた。
  男が悲鳴をあげて転がった拍子にボトルをひっくり返し、それをさらに浴びて上半身が炎に
包まれていった。
  あつけにとられる聡美の右手にも、異様な熱があった。
流れた血が掌にたまり、それが燃料でもあるかの如く、ゅらゆらと赤い炎をゆらめかせてい
たのだ。
  聡美は声帯をひきちぎるように叫んだ。
  男のものよりも悲痛な叫びをー―
  気付いた時には病院だった。                                            yakedo
  火は近所の人の手で消し止められて大事にはならなかったが、男は火傷より精神的な錯乱が
ひどく、長期入院となって職を失った。
  この時から彼女は、自分にまぎれもない特異能力があると自覚している。
56
  もしかしたら、身の周りに起きた火災のいくつかは、本当に自分が引き起こしたものかもし
れないとも思っていた。寝ている間に、勝手に火を起こしているかもしれないと。
  魔女という呼び名も、恐ろし気な目付きで避けられることも、真っ向から否定できない自分
がいるのであった。
「………聡美ちゃん。どうした?」
  校長の呼び声で我に返る。
  呆けたよラに物思いにふけっていたのだ。
「校長先生…………どうしてあたしが謹慎なんですか?ヌレギヌは晴れたでしょ………、先
生のケガだって自分から倒れたのはみんな見ているし」
「ウム、君がトイレから急いで保健室へいってナプキンをもらったのは保健室の先生が証言し
てくれた。よく利用するから、生理日がウソでないのも帳面に記録されていたし」
  「……」
  聡美はウッカリでなくても保健室でそれをもらうことが少なくなかった。家計が厳しいので、
甘んじてそうせざるをえない時もある。そのために保健委員になったようなものだ。
「それにね、あの時間あの場所には君ではなくて別の人間がいたと証言してくれた生徒もいた」
「優香……ですよね」
「いや、優香君じゃないよ」
「?」
  優香以外に、そうしてくれそうな人間が思い浮かばなかった。校長も妙な顔をしている。優
香が学園に出入りしていることを知らないらしかった。
              むろたなみえ
「2―Aの室田奈美恵君といって、君に劣らぬ優等生だ」
  聡美の知らない名前だった。
「君は知らないか。まあ……あとでお礼でも言っておくといい」
「ハィ。でも……だったら何で謹慎ですか?」
「君のバイトがバレたからだ」
「あっ……」
                                                                           ぎた
  昨夜、深夜警備のアルバイト中の事件、あれのせいで警察沙汰になったので、それが学校の
知れるところとなったのである。身柄引取り人として校長がきてくれたので安心だと思ってい
たが、事が事だけに今朝の朝刊に載ってしまっていた。未成年ゆえ聡美の名は伏せられたが、
警備会社も厳重注意を受けたし、学校にも連絡がきたわけである。
「君が働かねばならん事情は、実は私が一人で承知していたことでね。学校は知らなかったの
だ。なにしろここはイイトコの子が多いのでね。PTAも頭がかたい………」
「ああ、そうですね………仕方、ないですね」
「大変だったね。源さんは重傷だそうだな。今朝見舞いに行ってきたが、まだ意識不明だった
よ」
「ええ……」
58
  聡美の表情がさらに暗く沈んだ。源さんはあの長髪の女が逃走の際に傷を負わせたのだ。
「君は平気か、火傷の方は………」
聡美の顔は十近いバンソウコウで飾られている。OA機器の破片でついたものだ。包帯を巻
いた両手を少し上げて言う。
「平気です。なぜだか傷のなおりは早いの、知ってますよね。特に火のやつはそうなんです。
やっぱりあたし………」
  そこで口をつぐむ。「魔女かな」という言葉を飲んだ。
ドアを開けようとする聡美に、校長が思い出したように声を投げる。
「そうだ……道場へ行ってないだろう。発散してないから火の粉が向こうからやってくる。ガ
ス抜きにいけ。そのために始めた空手じゃないか」
校長が何もかもお見通しであることに少し驚いた。空手を始めた理由や、今まで続けてきた
理由を話したことなどなかったのだが、どうやら思った以上に聡美を理解してくれているよう
だった。
「はい、そうします…………」
無理に微笑んで、校長室のドアを閉めた。

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #21 on: October 12, 2009, 10:49:17 pm »
HI!!!!!! Sorry about the delay, it took me quite a while but I finally ENDED THE DIGITALIZATION OF THE ENTIRE BOOK!!!! YAY!!
So Im going to post the rest of the book as I make a final check.
almost 9 months dammit, I have to do faster next time.....

59禍津火
                                             4
  ーーぱちん。
  と、小さな音がした。
  聡美の指先と教室のドアノブの間で、静電気のスパークが起きたのである。
  痛かったが、それで動きを止めるとか手を引っ込めるということはなかった。聡美にとって
は息を吸うのと同じくらい日常的な現象であった。
  そのたびに気にしていたら、聡美は生活できなくなる。
                                                                ひんぱん
  長いこと付き合ってきた体質だ。月が満ちると共に頻繁におこるようになるし、スパークの
                                                あらが
強さも増す。鋭敏化する五感と同じく、抗いようのないものなのだ。
  それより、自分の席に着くまでの級友たちの視線の方が気になった。放火の疑いは晴れても、
過去の噂は一人歩きをし始めていた。
  巨大なプレッシャーだった。
  この学園に来てからの自分を抑えることによるストレスとは、全く質が違う。
  こういう時の人々の目というものには、何とも言えない力が宿っている。
60
  街角で出会うゴロッキの目の方が、聡美にはずっと好ましい。それはこちらの強い眼光や意
思ではね返すことが出来る。
  今、教室にある視線は、迎撃不可能な化学兵器にたとえることが出来るかもしれない。
  一度それが使用されたら、その場所は汚染されてしまい、空気を吸うことすらままならなく
                                             むしば
なる。受けるダメージが、長い間人を蝕むのもよく似ている。
  椅子を引く時、またばちんと音がした。
  仲の良い友人が教室へ入ってきた。二つ前の席の女生徒だ。
  聡美はやっと救いの手が差しのべられると思い、彼女に笑いかける。
  だが、彼女は聡美から目をそらして席につくと、カバンを取って出ていった。
                     むな
  聡美の泣き笑いは虚しく凝固し、友人の背中を追うだけだった。
  いたたまれなかった。
  机の中の教科書をカバンに入れ、すぐにでもここから出なければとても耐えられない。
  ばちっ、ばちん――
  机の脚が、カバンの金具が、指との間に青白いスパークを起こす。
  あまりに大きい音はみんなにも聞こえるほどになっていた。
  足早にみんなの視線から逃れようと、教室を出ようとした。
  ドアノブに手を伸ばすと、またスパークが起こった。
  ムチで床を叩くほどの大きな音だった。
  聡美は、教室を出たとたんめまいを起こしていた。
  ふらりと足許があやうくなり、前から歩いてきた生徒にぶつかりそうになった。
  ――パシンッ。
  その生徒の袖口のホックに向かって、聡美の体が放電した。
「きゃっ……大丈夫?」
「スミマセン、ごめんなさ……い」
  聡美はこの時、生まれて初めて放電による失神を経験した。
  通りがかりの女生徒の体にもたれ、ぐったりと崩れていた。
「先生、八島さんはいかがですか?」
「ええ、大丈夫よ。もうすぐ起きるでしょ」
  聡美はべッドの中にいた。
  白いカーテンの向こうには保健教諭がおり、彼女に話しかけるのはさっき自分を抱き止めて
くれた女生徒だとわかった。
(そうか、ここに運んでくれたんだ。でもこの声、どこかで聞いたような……〉
  目覚めたばかりの頭は、ずんと重い。何かを思い出すどころではなかった。
62
「たぶん栄養失調ね、さっきグウ~~~ってお腹なってたからね。過度のダイエットに、生理が
重なったんじゃないかな」
「そうですか、よかった大したことなくて」
「私、八島さんの担任に知らせてこなくちゃならないから、あなたちょっとの間見ていてくれ
ない?もし起きたら、これを食べさせてあげて。学食の残りだけど、これが一番だと思うか
ら」
「はい」
聡美は顔が赤くなった。誰か知らない生徒にいろいろ教えないでほしい、と少し思う。
保健教諭が出ていくと、カーテンが静かに揺れて、女生徒が聡美の傍にやってきた。
聡美は何故か目を閉じた。黙って立ち聞きみたいにしていたので、少ししてから起きた方が
よいと思ったのだ。
が、それはすぐ後悔に変わった。
聡美の手が、その女生徒に握られたのである。
彼女の二つの手で両側から包まれ、しっとりした熱が伝わってくる。
「かわいい……きれいな横顔ね」
とても看病するだけの雰囲気ではない。もっと別のものが、その声に含まれていた。
聡美はその瞬間、シーッに冷たい汗を染みこませた。
(この声、あの美術室の上級生!?男役の人だ!)

  急に不安になり、まぶたを開けた。
  今にもなまめかしい唇が接近しているような気がしたからである。
「あっ、……あのう」
「起きたのね……ごめんなさい、手なんか握って」
その女生徒の声は、確かに美術室の上級生の方だ。そしてその顔は、その後に体育館裏で見
た、あのグループのリーダーでもあった。
「あの、あなたあの時……」
   むろたなみえ
「私、室田奈美恵。2ーAよ」
  聡美は二の句がつげなくなり、少し迷った。
あの事件が本当に放火だったなら、彼女たちのグループが犯人ではないかと思っていた。し
かし、この室田奈美恵は、聡美が無実であることを証言してくれた人間でもある。
もし彼女が火事に関係あるとしたら、わざわざそんなことはしなかったはずだ。聡美は自分
の邪推が恥ずかしくなった。
「校長先生からお名前をきいてます。ありがとうございました。あなたがいなかったら、私犯
人にされてたかも」
「あなたが犯人と疑われてるって聞いて、驚いたわ」
「本当になんてお礼を言ったらいいのか」
「別に当然よ――だって私は他に容疑者を知ってるんですもの」
64
「えっ……」
「あそこにいたメガネの男子。彼、タバコ吸おうとしてたのよ、あそこで」
「あ……それで」
  聡美にはイジメにしか見えなかったが、そうではなかったようだ。
  自分の尺度や勘がいかにあてにならぬものか、聡美は再び一人恥じ入った。やはりこの体調
の崩れが、判断を鈍らせているにちがいなかった。
「あの……武内優香って知ってますよね。あの時通りかかったと思うけど……」
「ええ、都立の娘ね。イジメか何かと思ったようだけど、仕方ないことよ」
  室田たちと優香は、やはりひともめあったらしい。ならば、優香はいちはやく自分の無実を
証明してくれなかったのか。聡美はさっきからそこに引っかかっていた。
「それより八島さん、指は平気?ずいぶん静電気が強い方みたいだけど」
室田は再び聡美の手に触れて、指を覗き込んだ。
「乾燥する日は、こうなんです。ちょっと今日はひどかったけど」
「知ってる?あまり体によくないのよ、静電気は」
室田はカーテンの向こうへ行って、お盆に載ったカレーライスを持ってきた。手を差し出し
た聡美に渡そうとはせず、室田はそれを自分の膝にのせた。
「いいから、じっとしていて」
「そんな、自分で食べれるから……」
室田は理知的な印象には似合わず、割と強引だった。
  スプーンに載せたルーとライスを、聡美の唇に近づける。聡美は困りながらも、口をあける
しかなかった。
「あたしも一時期悩まされたから調べたの。静電気は、人の体からカルシウムとビタミンCを
奪ってしまうのよ。カルシウム不足は骨粗鬆症、不眠症、高血圧、情緒不安定になるし、ビタ
ミンの方は食欲不振や疲労によるカゼね。それに血糖値が上がれば糖尿病もあるわ……」
「……そんなに危険なんですか」
「ええ、それにホコリがよってくるから肌によくないのパチッ――と放電すると、肌にキズが
ついて、ホコリに附着した微生物や雑菌に侵入され、それで皮膚炎とかあるし。それを防御す
るために、メラニン沈着でアザとかふえるの」
「……」
「こんな柔らかい肌がキズついちゃ、もつたいないわ一
室田が、聡美の頬に片手をそえて、スッとなでた。
聡美の頼は知らず知らずに引きつってしまっていた。
「聡美さん、下着は何をつけてる」
「えっ、そんなこと」
「そんな恥ずかしがらないで。大事なことよ。もしかしたら合成繊維かと思って。ナイロンや
ポリエステル、アクリルは静電気を帯電しやすいわ」
66
「……でも、お小遣いだとそれくらいしか」
室田はつつましい聡美の台詞が気に入ったらしい。年の離れた姉のように優しい笑みをうか
べた。
「身につける全部をウールやシルクとか天然物にするといいのだけれど。下着だけでも帯電は
十分の一くらいに下がるの。これ、さっき買ってきたんだけど使ってくれる?」
室田が差し出したのは新品のショーツとブラジャーだった。聡美が見たこともない高価そう
な下着だ。上品な色合いのべージュで、素材はシルクである。
「フフフ……気にしないで」
頼にあった手が、聡美のうなじをすべって首にまわされた。
  ぐっと室田の顔が迫る。
(やばい……)
  身をこわばらせる聡美の裏をかくように、室田は横を向いた。とはいえ、彼女の頬は自分の
鼻先に触れんばかりだった。
「これ、栄養剤……ビタミンとカルシウムを摂って衣服に気をつければ、二、三日で体調がも
どるはずよ……」
白魚のような指が聡美の唇にかすかにふれ、口の中に錠剤を入れた。
  すかさずコップの水が用意され、飲みこまされる。
「ンッ……ンン」
67ーILUST
http://img382.imageshack.us/img382/708/vgncarrot32.jpg
Variable Geo light Novel scans

68
「――ごめんなさい。だって、カワイイんですもの」
水を含んだ次の瞬間、聡美は唇を奪われていた。
  ファーストキスだった。
完全に意表をつかれ、目が点になっていた。文句をいうことも、怒ることも忘れて聡美は石
になった。
その時、あわただしく廊下を走り、保健室へかけこむ者がいた。
「先生、大変です!屋上から飛び降りた子がいます!2ーBの田中君です!」
それはあの時、室田のグループに喫煙を咎められたという男子生徒であった。
駆けつけた聡美と室田は、ぶすぶすと煙をあげて横たわる田中を見た。自らの体に火を放っ
ての投身自殺である。
放火の罪を清算するつもりだったのか、田中が選んだ場所は例の体育館裏だった。
  一人の女生徒が、田中を蘇生させようと手をつくしている。その姿を見て聡美がつぶやいた。
「優香……」
« Last Edit: October 12, 2009, 10:57:33 pm by Satoru182 »

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #22 on: October 12, 2009, 11:03:10 pm »
69               5
  誰もいない。
  聡美は大きな溜め息をついた。
  はりつめた風船から空気が抜けていくようだった。
  苔むした石段を昇っていくと、その先に神社がある。
住宅街からはなれた杉木立ちの中、ここが彼女の唯一安らげる空間だった。高い樹齢を誇る
                                      いぶき
木々が、いつも変わらぬ涼感と神聖なる息吹を提供してくれる。
なにより、ゆるやかな傾斜と曲線を持つこの道は、緑の壁で俗界からその身を遠ざけてくれ
るし、無数の枝葉はほどよい木漏れ日を残して天界からの日をもさえぎってくれる。
  誰も見ていない。
  誰も気にすることはない。
もうすぐ十七歳になる少女、八島聡美にとって、そのことこそ何物にも代え難い瞬間である。
ほっと一息ついたとたん、聡美の後ろ姿はそれまでのものとは一変する。
しゃんと伸ばしていた背筋を丸め、慢性的にカの入った肩を緩めてやる。
70
無上の時間を満喫する乙女の姿にはおよそ似つかわしくない。
だが、一人きりの時の聡美は、いつもこんなものだ。
生来か弱ささえ漂うほどの撫で肩だし、実際他人より小柄で華奮な体付きだ。日差しのきつ
い日でも上向きかげんにする笑顔、必要以上に規則正しい歩調も、実は本来の聡美からはひど
く遠いものなのだ。
今の学校に通い始めてからは、これに加えて"控えめ"や"育ちの良さ"も装うようになっ
た。だが、そんな努力も裏日に出はじめた。誰もが聡美の過去について噂して、平穏を保とう
とする彼女はかえって浮いてしまっていた。
その上に、田中という男子生徒の自殺未遂は強烈な駄目押しだった。
  放火犯の自殺で一件落着というわけにはいかなかった。
  彼は懐中に一通の遺書らしきものを入れていたらしい。
聡美は見ていないが、一部焼けて散乱した手紙の中に"八島聡美"の文字があったという。
取り囲む野次馬たちが大声でわめいていた。
  聡美が殺したと言い放つ者まずいた。罪を押しつけてイジメ殺したという筋書きだ。
聡美は雨の中に捨てられた仔犬のようにしょんぼりと歩く。
                            ひがさ
  長いまつげは、大きな瞳の日傘役だ。
誰からも優しく保護されるべき小さく可憐な少女……それが誰も知らない八島聡美だった。
  曲がりくねった安らぎの道を抜けた。

  色のあせた赤い鳥居をくぐる。
  時を止めたような枯れた風景が広がっていた。
                                        やしろ
  案外と大きく開けた敷地に、くたびれた社がある。
  しめなわ
  注連縄をかけた杉の巨木の傍に老人がいる。ここを守る神主である。
  さむえ
  作務衣を身につけ竹ぼうきを手に持ち、切れかけのゼンマイ仕掛けにも似たゆるゆるとした
                                                                  たたず
動きで落ち葉を掻いている。まるで背後に見える林に溶け入らんとする件まいだ。
                      すいぼく
  すべてが一筆がきの水墨画のようだった。
  そこへ聡美が現れた瞬間ーー
  パチリ、と何かが弾けた。
  火が生じたのだ。
                        もと
  それは、神主の足許でおこった。
  こんもりと盛り上がった枯れ葉の山の中だ。神主は焚き火をしようとLていた。
「。。。。。 」
                                                                      すそ
  だが、彼は火をつけていなかった。マッチを求めて作務衣の裾を探っていたところだ。
                          いも
今朝方、同じ場所で芋を焼いた時の残り火だったろうか。
火種が残っていても、それを再び覚ますだけの風はなかった。
  しかし、神主には特に驚く様子もない。こんなことは珍しくもなかった。
「聡美君かい」
72
「ハイ、ただ今戻りました」
しん 
  芯の通ったはっきりした口調ず聡美が答えた。
  神主の背に向ける笑顔に、先ほどまでの疲れは見えない。きっちりと爪先をそろえ、若い竹
のようにすっきりと姿勢が整っている。
「いつもより少し早いかな。新しいバィトでも入れたかい」
「ええ、そのつもりだったけどいろいろあって……今日は久しぶりに道場へ行ってみょうと」
「そうか……いろいろあったか」
「……はい」
  近付いてくる聴美を振り向きもせず、神主は言った。
「無理をせぬようにな。気を張りすぎるとロクなことはない」
「大丈夫です」
  聡美は老神主のすぐ後ろで立ち止まりつぶやいた。
「熱い………どうしたのかな。また何か、起こりそうだよ」
「?」
              たきび 
  それは、さらに火勢を増す焚き火のことか、あるいは聡美の胸中をさすものか、どちらとも
とれた。日々涼しさを増す秋の午後、老人の口内にこもるつぶやきは小枝をあぶる火の昔にか
き消されていく。
「戻るまでの間、大介をよろしくお願いします」
「フフフ……いつになったら他人行儀をやめてもらえるのかの。遠慮などしなさんな」
             けいだい
  その時、境内に新たな人の気配が現れた。
「お客さんだよ、聡美君」
  聡美にもわかっていた。ざっと身構えるように聡美は振り返った。
鳥居の下に、セーラー服の少女がいる。
「優香……」
「よっ!」
  一瞬、強風に幅られるように焚き火がごうと燃えさかった。聡美と神主の腰の高さまで火の
粉が舞い上がる。
優香が手をふって駆けよってくる。
  振り返った時に日差しが目に入ったのか、それとも友人自体がまぶしかったのか、聡美は反
射的に目をそむけ、それから元の通り神主の方へ目を戻す。
  声も姿も立居振る舞いも、お日様のように輝く娘だった。
  誰から見ても好ましいはつらつとした笑顔が印象的だ。実際、誰からも優香は好かれた。彼
                                                                かいむ
女を嫌う人間などというものは、聡美の知るかぎり皆無に等しい。
  もしいるとすれば、それは自分以外の個体を一切信じられぬタイプか、あるいはやましいこ
とがあって優香の傍にいられない人間だ。優香と話したくても、胸の内の汚れを見すかされま
いかと恐れる者といってもよい。

74
  優香という娘には、そういう者が近付けぬ格というものが備わっているようだった。
「来ちゃった。エへへ。ここんとこボク、聡美の学校によく行くんだよ。放課後とか、いつも
捜すんだけど、聡美は速攻で帰っちゃうっていうから会えなかったけど……どうしてるのかな
と思って」
          は
  屈託ない声が撥ねた。
屈託ない声が撥ねた。
「そう……ありがと。ちょっとね、またバイトの量ふやしてるからね」
「そっか!フフフ、大ちゃんの顔も見てないよな、この頃。また大きくなったかな」
「まだ、帰ってないよ。……じゃあ、アタシすぐに用意して出なくちゃなんないから……悪い
わね」
  聡美の態度がどこかよそよそしい。
  平静を装ってはいても、優香や老神主にその雰囲気はごまかせない。
  社の横の林の細い小道へ聡美は向かう。そこに、うっそうとした雑木に隠れるように聡美の
家がある。
  むろん、この神社の敷地内にある建物だ。以前、ガラクタ置き場にしていた小屋を住めるよ
うに改築したものだった。身寄りもなく、他に行くあてもない姉弟二人は、今は神主の好意で
ささやかな暮らしを営んでいるのだ。
「聡美……師範が、心配してるよ。最近全然道場にこないし」
優香の声を聡美がさえぎった。追いかけようとする足さえも止めさせた。
75ilust
http://img382.imageshack.us/img382/8650/vgncarrot36.jpg
Variable Geo light Novel scans

76
「優香、本当に用はそれだけ?学校で何か噂話でも聞いてきたんでしょ。あたしは平気だし、
疑いも晴れたわ。余計な同情とか、あたしが嫌いなの知ってるよね」
「そんな、ボクはただ―ー」
  思つてもみなかった強い言葉に、優香は呆然となった。そんな彼女を、聡美は振り向きもせ
ずに行ってしまった。
  言いたいことが胸一杯につまっているのだが、どのように言ったらよいのか聡美にはわから
なかったのである。
優香の方から、自分に言うべきことがある――とも思う。
  二日前、あの体青館裏で田中という少年と何か話したのではないか?
  それに、つい先程の自殺未遂事件の時も、優香は現場にいた。ちょうど落ちてくる所に居あ
わせ、彼が地面に叩きつけられる寸前に受け止めようとしたという話である。
  それは間に合わず、田中は植込みの上に落ちてしまい、それがクッションとなって一命を取
り止めた。必死に応急処置をする彼女の姿を、聡美は見ている。
  その時にも、力なくつぶやく田中の口許に耳をあて、優香はしきリに頷いていた。
  それは、今の聡美を救える言葉ではないのか……そんな気がしていた。
  優香が黙して語らない限り、人々の噂は悪い方へ向かうばかリだ。
「ホレ……優香君、お食べなさい」
  神主が優香に差し出したのは、炊き火の中にあった薩摩芋だった。
「アッ、はい……アリガト、神主さん」
「久しぶりだね。たった三ヶ月ほどの間に、また強くなったようだ。そして一段と美しくなっ
ておいでだ」
  小枝に刺した芋を手にとり、熱さにすこし顔をしかめてふうふうと吹いた。
「だが……今日はもうこのヘんで引きあげた方がいい」
「だって神主さん、聡美の学校でね……」
  神主は全てお見通しといった風に首を横にふる。
「どこで何があったにせよ、聡美君は今、一人で何かを考えたいのだろうよ。人にはそういう
時間や時期というものが確かにある……」
「でも、ボクは放っとけないよ。聡美はイッチバンのライバルで、親友なんだモン。そばにい
てあげるだけでも……」
「ホホ……今時めったに間けぬ真っ正直なセリフだ。この老骨の耳にもよく響く」
  神主のしわ深い顔が、さらにくしゃくしゃになつた。
「だがね、優香君のそんな心が、火を煽る……さっきから、君がしゃべるたぴに芋が焦げてお
る。大介坊の分がこのままじゃ真っ黒コゲだ」
「ン――何のコト?」
「フフ……何でもない」
「それより、ここの神様は火事除けの神様なんでしょう。お芋なんか焼いてていいのかナ?」

78
低い山とも小高い丘ともつかぬ高台の上からは、さして大きなビルもない小さな街が一雫で
きる。優香の学校と聡美が通う高校も見える。二人が一緒に修業した道場は駅二つほど離れて
いるが、やはりこの山からの眺望の中にあった。
  この何でもない景色の中に、八島聡美がやっとのことで辿リついた小さな小さな希望がつま
っていた。

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #23 on: November 02, 2009, 10:09:44 pm »
78               6


久しぶりの道場の空気は新鮮であった。
染みついた汗の匂いも決して嫌なものではない。そこに流れ込む秋風の香りも清々しく、あ
と何時間でも稽古できそうな気がした。
  やはり、満タン近くまで溜まっていたのだ。校長はガス抜きと表現したが、確かに毒性のあ
るガスのようなものに違いなかった。
  目に見えぬ恐るべき内圧、聡美を魔女に変える忌まわしい異形の力の正体といってもいい。
空手は、それをまっとうな形に変えて外部ヘ放出してくれる。
  その上、様々な副産品を聡美にあたえてくれるのだ。
79
  冷酷、憎悪、疎外感、聡美が人生を生きるにおいて受けてきた全ての悪意に耐える力、そし
て直接的暴カをはねのける自信をくれた。
  強くありたいがために蔑ろにしがちだった礼節も教えてくれた。
  同じ空手を学ぶ者たちから、ほとんど初めてといえる優しさと温かさを教わった。
  入門したての頃、現在の弟と同じ十歳くらいだった聡美は、師範が少年部の皆に向けて言っ
た言葉に打たれた。
「空手は、力だ。どんな大きな敵をも打ち負かす力だ。昔、琉球という国で武器をうばわれた
人々が創り上げた、丸はだかの人間、何も持たない人間が本来もつ力を解放する技だ。つまリ
――人があるがままの自分を守るための力である…………。あるがままの自分の心を相手に知
らしめる力である」
  その時は難しすぎた言楽が、そのまま心に残っていた。
  聡美は、空手をやれば、あるがままの自分でいられた.人を傷つける恐ろしい能力を、空手
は正しい力に変え、体内に納めてくれる。
  普通の人間、それが彼女の求める姿だった。
  サンドバッグが大きく揺れる。
  道場の隅に吊るされた100kg以上あるへビーバッグだ。一般男子でも、よほどの力量がな
いと体を痛めかねない代物である。膝や腰に、蹴った力がそのまま負荷として戻ってくる。
153cm、41kgしかない聡美は、そんなものをあたかも風船のごとく軽々と揺り動かす。
80
蹴り込んだ部分の皮が、破れんばかりにめり込んでゆく。
「ほう、聡美君--久しぶりだ」
 おっす
「押忍っ、館長ごぶさたでした!」
奥の住居から通じる引き戸を開け、体格のよい男が現れた。
                 たいしばしげんぞう
旭神館館長、太子橋厳三であった。
「そんな凄い音を出せるのは、君か優香君しかおらんからすぐにわかった」
「…………」
  にこやかな笑顔を消して、太子橋の目が光る。全てを見通すような奥深くカ強い眼光に、思
わず魂を吸い込まれそうになった。
太子橋が何かを語り出す前に、聡美から言った。
「一手おねがいし・ます!」
「…………ウム、よかろう」
  二人は静かに構えをとった。
        フールコンタクトカラテ
旭神館といえば、直接打撃制空手制で名をなした道場である。有名な流派のォープントーナ
メントに門弟を送り込み、ここ数年多くの上位進出者を輩出していた。
しかし、それは世間が知る一側面でしかない。
限られた高弟については、一般的なフルコンタクト制とは別の空手を伝えていた。
よつて、構えはフルコンに共通するアップライトではない。
  館長は後ろ足に六分の重みを乗せた猫足立ち。
  胸をかりる聡美の方は、太子橋より幾分前に重心を置いていた。
             ナィファンチ          めおとでい
  二人とも構えは内歩進、それも二つの拳が普通より近くよりそった夫婦手と呼ばれる形だ。
大正、昭和初期を通して実戦では随一と言われた本部朝基という名人が、この構えをとって
いたという。
太子橋は、静かにそそり立つ岩のように動かない。
  しかし、一度動き出せば、たった一突きで何もかも終わらせる力感があった。
  聡美はじりじりと間をつめた。
旭神館の本来の組手に、決まり事はごくわずかしかない。
相手の生命を奪わない。人の道を外さない。その、一.つのみであった。
禁じ手は一切無しぞ、そんな組手をやれるのはこの道場でも一握りである。
むろん聡美はその中の一人であった。
聡美が両者の制空圏を割った。

82
                 7

  乱れた息を整え、聡美が礼をする。
「ありがとうございました、押忍!」
「押忍」
  二人は向かい合って正座した。
  それから一分、二分と目を見据えあったまま時が流れる。
  聡美は、何をどう切り出せばいいのか言葉を探しあぐねていたのである。その聡美に、太子
橋の方から問うた。
「また突きの威力が凄味を増したな。しかし、真の突きからは遠く離れてしまったようだ……」
「………」
            いか
「聡美君、真実の突きとは如何なるものだと思うかね」
「わかりません」
「真実の空手の突きを受けた者は、どんな強者であろうと砕かれる。肉体だけではなく、心まで」
「はい」
            いきどお
「悪意も敵意も、憎でいみ憤りも、突き一つで砕け散る。おのれの内にあるそれらも同時に……で
なければ、争いというものはいつまでも絶えぬ。空を突き、天を衝く―それが空手だ」
        うかが
「館長…………お伺いしたいことがあります」
  下を向いて膝頭の道着をにぎりしめていた聡美は、頭を上げると同時に声を大きくした。口
         うごめ
の内の異物、生きて蠢く虫でもあるかのように、言葉を吐いた。
「館長は、ご自分以外に三角飛びで人を倒せる人間を知っておられますか?」
「うむ…………私を含めて、この世に二人。もう一人は優香君だ」
「…………そうですか」
「いや…………」
  聡美の瞳に一瞬の光が生まれた。太子橋はそれをはっきり見て取った。
「おそらく今ならもう一人いるだろう……………君だ。隠れて習得したことくらいお見通しだ。
優香君は天才だ。かつて達人と呼ばれた人々でさえ、彼女ほどの天賦の才を見たら、さぞうら
やましがることだろう。そして、君は努力の天才だ…………。彼女はあっという間にものにし、
君は少し遅れて体に染み込ませる…………」
「………」
「それがどうかしたかね」
「いえ」

84
「あれはたしか一年前、誰かが伝説の三角飛びとやらをマンガで読んで、どんなものか尋ね、
それで私がやって見せたのだったな。だが、あれは教えたとは言えんよ。おそらくそんなもの
            すいきょうしゃ
を訓練する酔狂者とてこの三人に限られようというものだ」
  聡美の肩や拳に、どんどん強いものがはりつめていく。
「ゆ…………優香は、このごろ稽古の調子はどうですか?確か空手の試合が…………」
  とりつくろうように歪んだ笑顔を見せる。
  嘘の下手な聡美を、太子橋は変わらぬ静けさで見守った。
            いつく
  目の奥に慈しみとも哀しみともつかぬ情がこもる。
「三日後の本番に向けて、毎日ここに泊まり込みだ。そろそろ二週間になるか…………うちの
チビたちが大はしゃぎでなかなか寝つかなくて困っている。彼女はどこでも人気者だ」
「そうですか」
「学校を終えると相手を求めて出稽古だ。君以外で彼女の相手がつとまる者は少ないからな」
「申し訳ありません…………」
  いつも通りであれば、試合前は聡美も一緒に泊まり込んでいる。そして大会の決勝戦は、い
つも優香と聡美で争うことになる。
「今回はどうしても負けられぬ試合、君は出られないというので優香君は鬼気迫るものがある
…………。VGの時でさえ、あんな顔は見たことがなかった」
「――館長、わかりました。ガンバレって伝えてください。私、謹慎中だから、今日はこれで
失礼します」
  聡美は話しているのが辛くて、逃げ出すように更衣室へかけ込んだ。
  自分の持った疑念が腹立たしくてならない。
  自分のような者が三角飛びを習得したのだから、この広い世界にはきっとそれが可能な人間
たちがいる。
    いだてんそく
『章駄天犀』にしたところで、優香だけのオリジナルとは言い切れない。もしかすれば、VG
で誰かに対して使って見せたかもしれないし、それを盗んだ者がいるかもしれない。
「そうだ、きっとそうだよ…………」
優香でさえ優勝をのがしたというVGには、想像もつかない化け物が出場するときく。当の
優香が「目からウロコが落ちた」と言つていたではないか。
  聡美は道着をぬぎながら、噛みしめるようにつぶやきを繰り返した。

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #24 on: November 02, 2009, 10:12:20 pm »
85                8



  帰宅途中、聡美は道ばたの野草を摘んだ。
               クローバー     じい
  セイヨウタンポポ、つくし、白詰草、そして、スダ椎の実が手の中にある。
86

  日が傾きはじめた街はずれ、小さくしゃがみ込んで花を摘む少女。
もはや東京近郊はおろか、どこの地方都市でもめったに見受けない牧歌的風景だった。
聡美は立ち上がり、紅色のイチイの実に手を伸ばした。
片側は小さな畑、反対側は雑木林になっており、そこにこの季節になるとイチイが実をむす
ぶ。イチイは寒冷地の山に行かないと見られないものだし、赤い皮の部分に毒があるので、よ
ほどの野草マニアしか採取することはない。
他にも、クコ、アオギリ、キキョウなどが自生し、秋に実を提供してくれる。
  ここは、聡美の大切な収穫の場なのだった。
今回の件でしばらくは警備会社のバイトもおあずけだ。
  これは大きな痛手だった。
正式に学校サイドからバイトの許可がおりたとしても、女性で学生の聡美が深夜まで働くこ
とを許すとは思えない。
大介の楽しみにしている林間学校代を捻出するためにも、厳しい倹約が必要だ。
今まででも、こうして食べられる野草を摘んで食費を浮かせてきた。
  誰の世話にもならずに生きるためのささやかな知恵だった。
  この街は、こういった採取活動にもってこいだ。街中をはなれるごとに緑が多くなるし、聡
美の間借りする神社付近には、昔ながらのこうした雑木林が多く残っている。
人工の公園ではまず見られない食用になる植物やキノコが豊富だった。
87ilust
http://img526.imageshack.us/img526/3083/vgncarrot42.jpg
Variable Geo light Novel scans

88
  神社へ向かう石段から木陰に入れば、春にはぜんまいやわらびが採れるし、中腹の小さな沼
には、濃厚な味と香りを楽しませてくるセリが生える。
  だが、こんなことをしているところを人に見られたくはない。
  特に大介に知られるのは避けたかった。
  可愛い弟は、それらがお店で売られているものと思っている。
  大介の同級生に見られるのも避けねばならなかった。気が弱く引っ込み思案で、ただでさえ
貧乏人と言われてイジメられているらしいのだ。
  不幸中の幸いは、せびり取られるおこづかいを持っていないことくらいだった。
  以前、こうしている現場を大介本人に見つかり、言いわけするのに苦労した覚えがある。そ
の時は、「死んでた猫を埋めてあげたの」とごまかして、一緒にお祈りをした。
  聡美はそそくさと草や果実をしまい、背筋をピンとのばして立ち上がった。
  「みみっちいな、おまえ」
  その言葉はグサリと胸を決った。
  誰もいなかったはずなのに、目の前に人がいる。
  聡美の学校のすぐ近くの商業高校の制服だった。
  聡美は陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせた。何か言い訳はないかと考えた
末に、顔見知りでないことに気付いてムツとなる。
  「誰よ、関係ないでしょ!」
「野草をカバン一杯につめていばるんじゃないよ」
  聡美より10数cmは高い位置から、腰に手をあててふんぞりかえるように言う。スカートが長
かった。きれいな顔立ちだが、めちゃくちゃ鼻っ柱がつよそうだ。
「あなただって今時地面スレスレのロングスカートで大きな顔しないでよ」
  つんと鼻をそむけて横をすりぬける。
        たち                ふだ
相手は質が悪いので有名な商業高校の、たぶんその中でも札付きの女に見える。こんなのと
一緒のところを見られたら、噂に確証を与えるようなもの。
  さっさと離れるつもりだった。
「おまえ、銀杏臭え…………そのパンパンにふくれたポケット、銀杏の実だな。あ、哀れだ」
通りすぎる寸前、不良娘は目頭を押さえて言った。人を怒らせるのが絶妙にうまい女だった。
聡美は固く誓った品行方正少女の仮面を、瞬間的に失念した。
        ぎんなん
「あんた銀杏食べたことないの!茶碗蒸しにも入ってんじゃないの!」
怒鳴る聡美に気をよくしたのか、不良娘はもう一攻めした。
古めかしい生地でできた巾着を日の前につき出す。
「焼き米が入ってる。恵んでやろう……………」
  聡美が払いのける。
  死闘も辞さない聡美の怒気に、不良娘はあっさりと背を向ける。背後から無防備のものを襲
える相手かどうか、きっちり読まれていた。
90
「焼き米ってあんたいつの時代の人よ!」
                    すいかつがん  きかつがん
「おまえの常食品だろうに。気に入らないなら水渇丸か飢渇丸をあげようか」
  ニヤリと笑っているのが肩ごしの横顔でわかる。
  「…………」
「ったくそんなの今時"草の者"でもやんねえよ。アハハハ……」
「草の者…………。あんたはっ!」
  聡美は大きく飛んで距離をとった。
  不良娘はまったく動じることなく悠々とかまえている。
「気付いたの?あの学校で特待生の座を守るだけあってかしこいや。図書館の本と教科書が
唯一のゴラクってとこか、テレビ持ってねえんだろう…………」
「な、なんでそんなことまでロ」
「さっき家ん中のぞいたんだ。おっとカギはあけてないぜ。だって隙間だらけなんだもん」
  しれっとしたものであった。
「あんた、あの時のくの一だね!」
  水渇丸、飢渇丸は、忍びの者が常用した保存用携帯食だし、草の者とは民間人にまざって日
常をすごす下忍のことをさす。聡美は正に、図書館で借りた忍者についての本でそれらの言葉
を知っていたのである。
「ご名答だ」
  しゃれ
  洒落っ気たっぶりの仕草で不良娘は人さし指を立てた。
  指を立てるときの動作で、制服の袖口から大きな苦内を飛び出させて見せる。
  あの時のものと寸分たがわぬ寸法、そして切れ味をしめす刃の光だ。
  目の前の長身に黒い忍装束を重ねてみれば、月明かりに冴える細見の女が蘇ってくる。頭部
の頭巾と口を覆う布の間にあったのは、確かにキラリと輝くこの瞳に違いない。
「あんたは敵、味方――どっち!?」
  聡美は用心深く身をかまえている。
  苦内を投げてくるなら、すぐさま雑木林へ逃げこまねばならない。
「やる気?」
「まあ怖い目をすんなって、今んとこアンタとあたしは敵じゃない。それどころか手を組まな
きゃならないかもな」
  「?!」
  出来そこないの不良女子高生になりすました女は、意味ありげに微笑してこう告げた。
「あんたのことは調べさせてもらった…………本当の貧乏暇なし娘だ。バックにはなにもない」
「貧乏は余計よ」
          やぎゅう                ますだちほ
「オレは柳生忍軍の末斎、名は増田千穂。どうだい……名を名乗る忍びなんざ、歴史上ざらに
ゃいねえぜ。信用しろ」
  徹頭徹尾一方的で人を食った女だった。


92              9


「端的に言うよ。八島聡美、あんたはもう巻き込まれちまってる」
「何に?」
「察しが悪いね。さっきかしこいと言ったのは取り消す」
「だったら帰ってもらってもけっこうよ。こっちは話を聞いてあげる立場よ」
       いろり          こうかく
今時めずらしい囲炉裏をはさんで、二人は口角泡をとばしはじめた。
文字通り風穴だらけの古いほったて小屋であった。
聡美は囲炉裏に火をつけ、その勢いを確かめるために木炭を火箸でつついていた。
「茶をいれてくれるつもりなら、茶菓子もほしい」
千穂はからかうのを楽しむようにニヤついている。
「出したでしょう!」
「ウサギのフンに見えるけど、お茶に合うのかなあ」
「イヌビワっていうのよっ、味はイチヂクみたいなもんよ!」
「犬にくわせろ」
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Variable Geo light Novel scans

94
  聡美は思わず火箸をふりあげそうになる。
「なぜ木炭にマッチなんだ?その掌から火を吹きゃ楽だろ」
「!」
「調べたって言ったろ。あんたの野草摘みのなわばりから、過去の生い立ちまで、全てだ。一
の親友、武内優香や弟の大介よりも、俺はあんたのことについて詳しいよ」
  わざと遠い目をして、千穂はイヌビワを口に放り込んだ。
  動きをとめた聡美の手もとで、やっと火がはぜ、木炭の一つをコロリと転がした。
「隠すな、館長さんや校長と同じくらいアンタの理解者のつもりだ。わかるんだ…………ガキ
の頃からへンな力持っちまって、それを隠さなきゃならなかったのは同じだからね。一流の忍
びってのは、五体の感覚から殺しの技まで、他人から見たら超能力者だ。ガキのころはそれが
わかんねえから気味悪がられたりしたもんさ…………」
「あたしのは仕込まれて持ったものじゃない。欲しくも、使いたくもない」
  聡美の声は低く冷たかった。
「そうか…………だが、その力は何度もあんたの身を救った。先日も、そして今から十一年前、
火に包まれた車ん中からあんたと弟を生き延びさせたのも、火を操るその力…………」
「やめて!やめないとぶっ飛ばすわよ!」
  聡美は立ち上がり、凄い形相になっていた。目の前を、火の中でもがく父の背中と、フロン
トガラスに首まで突っ込み、すでに動かない母の体がよぎる。
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  ガスと炎の臭い、肉を焦がす黒煙もよみがえる。
「すまねえな。ーだけど、この先その力が必要になる。空手技だけじゃ、きっと対抗できな
いよ。敵が俺みたいに名乗ってから襲うわけじゃない」
「あたしが…………いったい何を?ただのバイトの警備員じゃない。犯人の顔も見てないし、
犯人が何を探ってたかも何も知らない」
「おまえ、大事なことを一つ隠してる。警察にも言ってないだろう」
「それは……」
「おまえはあの女と互角に渡り合い、傷を負わせて撃退した…………そして、犯人について大
方の目星をつけている。違うか?」
「違う!そんなものわかるわけない!」
千穂は眉をしかめ、だだっ子でも見る風な表情をつくった。
「おいおい。泣きそうなツラすんなっての。おまえ幾つだ?ふう…………」
  千穂は、ぐいっと身を乗り出して言った。
「あたしもそこにいた。やつの技を見た。あんな空手使えるやつは世界で一人だ。武内優香…………」
あんたが疑ってるとおりだよ」
「―ーー」
  聡美には返す言葉がなかった。
  ついさきほど道場で殺し、消し去ったはずの思いを、あっという間に取り戻させられた. い
96
や、押し込めただけで、優香を潔白と思いこむだけの理由を本当は見つけてはいなかった。
  館長の眼差しの前で、あさましく友を疑る自分が情けなくなったにすぎないのだ。
「白分が嫌いになったか?」
「好きだったことなんて一度もないわよ」
「嫌うのは別に悪いこっちゃねえぜ。但し、敵を嫌え。…………自分を裏切る人間なんざ腹の
底から憎むべきさ。そんなのはごまんといるし、ごまんに近いくらい見てきた…………」
  聡美は大粒の涙をこらえるために、血が出るほど唇を噛んでいた。
「ウルサイ! 同い年で悟ったふうな口きかないで! 優香のことはあたしが一番知ってるん
だ!」
聡美の雄叫びもどこ吹く風。千穂はよく聞こえる独り言をつぶやいた。
「いいや、何も知らんね。それにあのぶちかましからの刈り込むタイプのハイキック…………
『韋駄天足』っていったっけ…………あのコンビネーションは、他人が偶然やるにしちゃ確率が
低すぎる。間合いの取り方、呼吸、力、技、すべてのネタが優香をさしている」
忍術の訓練の中に、地面に紙を敷き、そこに水をまいて、その上を歩いたり走ったりするも
のがある。これをマスターすれば音を消して歩けるようになるし、超人的な身軽さを養えるの
だ。
千穂はその訓練をやり遂げたが、その彼女にして尚、『韋駄天足』は想像を絶する技だった。
あの神速の踏み込みから、そのスピードを全て廻し蹴りに転化させる重心移動は、100m
97
ダッシュの途中に野球のフルスイングを行うようなものだ。
  むろんダッシュ力では世界新記録、スイングでは大リーグのピッチャーからホームランを奪
わねばなるまい。『韋駄天足』とはそれほど常識外れのものであった。
「あんた、何でそれを」
「優香は、俺の初黒星の相手だ。VGで負けてから何度も道場をさぐりにいった。あの技は、
VGで使わなかったし、たぶん館長とアンタ相手にしか使えない危ない技なんだろうな……」
「VGじゃ、使ってないの……そうなの」
  そうなれば、誰かに盗まれることもなかったことになる。
  聡美は、決定的な証拠をつきつけられた犯罪者の気分を味わった。
「おまえ、優香の過去について何か知ってるか?」
「ううん……小学生までは岡山の山奥でお爺さんと二人暮らしだったってことしか。でも、優
香のことだから、どこにいたってみんなに可愛がられて………」
「その爺さん、気道とやらの達人で、優香に気吼弾を教えた人らしいが、寄る年波には勝てな
いらしい……しばらく前に大学病院で精密検査を受けてる。何の病気かまだ調べがつかないけ
ど、手術をひかえてるらしいぜ」
「?」
「金が必要ってことさ」
  聡美はバットで殴られたように感じた。千穂の言おうとすることが、あらかじめわかってし
まったからだ。
98
「産業スパイは金になる――」
「何を言いだすの!?」
「本当のことだ。本職のオレが言ってるんだよ。実際、能力があって金に困ったらこれはオイ
シイ商売さ」
「……自分が日陰者だからって、あの子は同じ所に引きずり落とせるような人間じゃない」
  聡美は自分に言いきかせるように声を絞り出した。
  千穂もそれは否定しなかった。うって変わって、しんみりとうなずき、声のトーンを落とす。
「そうだな。優香はイイやつだ。日陰者だからこそ、よくわかるよ。自分と同じようなやつを
見ぬく力についちゃあ、心理学者にも負けねえつもりだが……」
「……」
  千穂も聡美も自分を偽る方法を誰より良く知っていた。だから他人のべールの裏を見抜く力
を身に備えてしまったのである。そして、他人や自分の嫌な部分を、どこか醒めた日で眺める
癖がついていた。
「そんな俺から見ても、優香はイイやつだ。世間的には友情ってのか……不覚にもそんなもの
を感じちまってるんだ。キリシタン風に言えば聖母マリア、おフランス風に言やあオルレアン
の少女――そういうのって、優香みたいだったかも、なんてよ……」
「うん……あたしも同じこと思ったことある」
  だが千穂はまた一変した。
  懐の苦内のように黒く鋭い光が両目に宿る。
99
                          おとぎぱなし
「ーーでも、そんな人間は、いるはずはないんだ。この世に御伽話なんか存在しないんだ。そ
んなのがいるとしたら、サイコパスか多重人格者か……本物の大バカさ」
「……」
「やつが、人を憎んだことがあると思うか?」
「……」
「答えはわかってる。怒れるが、憎まない――そういうやつだと俺も思う。だから……だから、
今となっては全てが嘘くせえ。そんなのは人間じゃないぜ」
「……」
「今の話、どう整理してもかまわない。だけど、これだけは言っておく。この数ケ月、長い髪
の女空手使いがこっちの業界で荒稼ぎしてる。そして、金のためなら人間はどんな嘘もつくし、
いくらでも変われるってことだ」
  聡美は思った。
  もし、自分の命より大切な弟が難病にかかり、大金が必要になったとしたら、白分はどうす
るだろう。
(――稼ぐ。たぶん、何をしても。自分の人格をかなぐり捨ててでも……)
  乱れて定まらぬ思いの果て、聡美はそこに辿り着くしかなかった。
100
「学校での事件だって、もしかしたら優香が一枚からんでるんじゃないのか?」
「でも、あれはスパイの女と会う前のことだし……」
「ああ……でも用心にこしたことはない。あの女はあの時、確かに本気だった。ただのバイト
警備員を相手に殺る気だった。どうもおかしい……」
  千穂はそう言い残して去った。
  聡美はその夜、ついに一睡もできなかった。


P100            10


  増田千穂と会った翌日―ー謹慎中にも関わらず聡美は登校した。
  放課後、優香がボクシング部を訪れる時間を見計らってのことだ。
  優香のパンチは、どの男子部員のものより遥かに強烈だった。
  見たところフェザー級とバンタム級の男たちが二人がかりでサンドバッグを押さえるのだが、
優香の拳が打ち込まれるたびに大きく揺れていた。
  不慣れなボクシンググラブをつけているせいか、聡美の目には少しぎこちなく見えるが、し
                                きょうがく
ょせん高校生レべルの部員たちには驚愕の破壊力にちがいない。
P101
  左ジャブ二発、右ストレート――左にサイドステップし、ダッキングを一つまぜて突きあげ
るかんじの左ボディフック―ーさらに、その左でテンプルへのフックを連続し――右のフック
でフィニッシュ。
  二人の男子は左右に振られて尻もちをついた。
  いつもの素手か、道場でつかっている薄い拳サポーターであれば、使い古しのサンドバッグ
の中身が吹き出しそうなパンチだった。
  部員の注目をかっさらう優香が、窓の外の聡美を見つけて駆けよってきた。
  安普請のサッシ枠がガタつきながら開け放たれ、独特の熱気が押しよせる。優香だけではな
くボクシング部自体も試合が近いらしく、減量対策のため加湿機とヒーターでサウナ状態にな
っていた。ワセリンと松ヤニの匂いが鼻をつく。
「よく来たね、聡美! わかった、ついにやる気になったか! とにかく今この部屋冷やせな
いから入りなよ」
  ひまわりのような笑顔で、聡美の言葉を待たずに窓を閉じる。
「話があるの。ちょっと外に……」
  練習が終わるまで待つんだった――と今さらながら後悔した。
  優香は締めたガラスの向こうで大はしゃぎを始めている。つられた部員たちが歓声をあげた
り口笛をならしたり、ガッツポーズをとったりするのが見える。
  優香が何を言ったか大体は察しがつく。
102
  ついでに、自分が誰かわかった時の反応も予想がついていた。
  そして、それは的中した。
中に入ったとたん、むせかえる熱気が別のものに変わった。一人一人の気持ちの変化が具現
化Lたとでもいうかのように、聡美の体感温度は確実に数度下っていた。
他人の視線や心というものを、彼女は実際こんな風に感ずるのだ。それらがどれほど彼女の
人生を左右してきたのか、聡美自身が最も身に染みるのはこんな時だった。
  入口近くにいた人間から、どんどん態度が変わっていく。
大所帯ゆえに一度に聡美の姿を見ることができず、奥の方ではいまだに盛り上がっている。
「可愛いか?なっ、可愛いんだろ?」
「女子ボクシング部発足だ! 武内さんのお墨つきってんなら全国制覇だぜ!」
「おいおい、女子って全国大会あったか!? 地区にもあんのかよ」
「いいって、とりあえず毎日はりが出るって!」
  そう言いながら人をかきわけて前へ出てきた連中が、あっという間に冷めていく。
「やあ、優香君とタメをはるくらい強いんだってね。事情があって名は明かせないって言われ
てたんだが、君かあ………小柄だね。でも可愛さは同等かナ、よろしく!」
と、最後に出てきたのが主将らしい。
                せいかん
引き締まった精悍な顔で、握手を求めて手を伸ばす。
  しかし、すぐその後に、同じ手を静止させた。
103
  横から別の部員が素早く耳打ちをしたのである。聡美が今話題の人物その人である、という
内容だろう。出した手を引っこめるのも決まりが悪く、どうしたものかと中ぶらりんのままだ。
  優香はさらにその後ろから遅れて出てきた。
「ね、入部する気になったんでしょ! もう聡美が強いのもバレちゃってるし、入るなら打突
系の格技はここしかないんだから! 聡美が入るならボクも学校で正式入部するよ! 正規の
大会でボクシング対決だね′・」
  全くもって空気を読むことを
« Last Edit: November 02, 2009, 10:30:37 pm by Satoru182 »

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #25 on: November 05, 2009, 06:06:14 pm »
確かに今や、聡美の転校前の姿は全生徒に広まっている。ほとんどロクでもない話に終始す
るが、たった一つだけ悪くないといえば、スーパーガール武内優香と同等の運動能力を持つら
しい、という噂だ。
  聡美がうれしいかどうかは別にして、こうなったからには隠すことなくその力を発揮するこ
とも可能な状態にはある。
  優香の思考の中にはおそらく、「こうなったからにはそうするだろう」という、非常に前向き
でストレートな発想がある。もし優香自身なら実行するに違いない。
「まったくこの娘ってシャイだから、目立ちたくなかったんだってサ」
  その通りだ。
  その方がずっと楽なのに、地道で堅実な人生を目指して、敢えて辛い学業の方で特待生を選
104
んだのだ。つい二日前まで、それで何のさしさわりもなかった。
「そうじゃないの、優香。ちょっと話があって」
  消えそうな声で聡美が言った。
気がせいているのか、優香はちょっとハイになってそれを聞きのがした。近くの男子からグ
ラブをもぎとって、聡美の両手にはめようとしている。
「さ、叩いてみせてやりなよ。みんなー見てろよ。スピードはボクより上なんだから」
「ちがうよ。そうじゃない。話があるから来て」
短く切ったセリフには、自分で思うよりずっと険があった。
  怒気を込めたつもりはないが、静かな部室によく通った。
                        みけん
伏せていた顔を上げた時、眉間に縦じわでも入っていただろうか。それとも目が吊り上がっ
ていたのか。部員たちがビクッとすくんだように退いていた。聡美は急いで優香の手を引き、
部室を出た。
「まったく人の気も知らずに……」
「えっ、何?どこに行くの?ちょっと聡美」
優香は狐につままれたような顔をしていた。
105
「ゴメンーボクの早とちりだった?」
「もういいよ。それは」
  聡美は少しあきれたように優香を見た。
                          おが
  後ろを歩く優香は、本当にすまなそうに掌を合わせて拝むようにしていた。
出会ってからもうすぐ三年、こういう優香相手に本気で怒れた試しが聡美にはなかった。そ
れが優香の人徳だ。特に聡美にとってはうらやましい部分であり、自分に欠如した能力だ。
時々、超能力者とはこんな人間のことではないかと思えてくる。
  そんな回想を振り切るかのように、聡美は足をとめて振り返った。
  今度は意識的に口調を強める。
「優香………あんた、何かあたしに隠してない?」
「何を?何かあったっけ?あっ………」
  聡美の両掌にきゅっと力が入った。
「何?話して」
「エへへ、あの件かなあ………でも、別に聡美を出し抜いたつもりじゃないよ」
「言って。何なの」
  おのでら
「小野寺リッキーのことでしょっ?館長にでも聞いたの?」
「小野………リッキー?」
  キックボクシングの日本チャンプのことだった。もうすっかり忙しさのせいで名前すら忘れ
106
かけていたが、「リッキーファン」であると、優香に言ったことがあった。
「いやあ、出稽古へいった先で会っちゃってサ。なんかどっかでVGのビデオを見たことある
らしくって、ボクのファンだなんていって、TEL番渡されちゃったりして。でもボクの方は
教えてないょ。それどころじゃないしね」
  優香は、聡美の身辺がおちついたらそのジムへ誘うつもりだったし、リッキーを取るつもり
などないと変な言い訳を始めた。
「そんなの、どうでもいいっ」
「聡美………怒んないでって。ボク、彼氏なんか今欲しく………」
「ちがう! 二日前のことを聞いてるの! 二日前の昼休みのこと!」
  核心に迫る。
  疑いたくはない。
  しかし、確かめなければならない。
  でなければ、この先優香と真っ直ぐに向きあえない。
  聡美はそう思っていた。
  言葉を叩きつけながら、まぶたをかたく閉じそうになるのをこらえなければならなかった。
大きくキラキラ光る親友の目が、痛い。
自分の思いをそっくりそのまま映す鏡のようだった。
  その顔には、たった今、親友と呼べる存在からとてつもない疑いをかけられているなどとい
107
う色は微塵もなかった。これが自分自身なら、いったいどんな形相になっているのかそれを
         あわ
考えるだけで皮膚が粟だった。
  ここは、先日いじめの現場となっていた白昼の死角。
  そして、放火のあつた場所である。さらに、その容疑者の田中が自殺を計った場所でもあっ
た。
  聡美は、敢えてこの場所を選んだ。
  もし、優香が何かを隠しているなら、必ずわかる。
  顔や目の色、ちょっとした仕草に、それは必ず見てとれる。それを上手くカバーしたとして
も、心拍数が変わる。
  それから発汗作用が高まったり、体内の分泌物にも異変が起こる。それは、すでに科学的に
立証され、犯罪捜査の目安として採用する国さえある。
  計測機材などなくとも、聡美にはそれがわかるのだった。
  そう――今日は、月齢13日。明後日には満月だ。
                       きゅうかく
  聡美はあらゆる意味で超人に近くなっていた。嗅覚はおそらく犬をも超えると自負してい
る。つまり、少なくとも常人の六千倍を上回る感度を持つのだ。
  ここへ優香を連れだしたのは、自分の持つ灰色の思いを白へ戻すためだった。
  あるいは、明白な黒となるのか――その不安もむろん、聡美の中にはあった。
  今のところ、優香に変化はない。
108
  漂ってくるのは、トレーニング後の通常の発汗臭だけだ。
「会ったよ、あの田中君って子と。あと何人かに」
  「……………」
「タバコを吸おうとしてた田中君を注意してたとか……」
「そう……」
「でもね、彼は……」
「何?」
「んーん、いいの。彼のことは心配いらないよ。ガリガリに見えるけど、芯のしっかりした男
の子だもん」
「?」
  聡美には、優香の言っていることがよくわからなかった。仮にも聡美は、田中のせいde放火
犯として疑われ、今も中傷を受けているのだ。
    ひだるま
「火達磨で落っこちてきた時はおどろいたけど、ボクの気吼弾で火は吹きとばしたから火傷は
軽かったし、お医者さんは助かるはずだって……」
「彼から、何か聞いた?あの時、何か言ってたみたいだけど……」
  優香の答えは、少し間をおいて返った。
  言葉を選ぶように見えたが、真正面から聡美を兄つめている。
「何も。だけど彼は元気になる。ボク、信じてるんだ」
109
「?」
  呼吸も脈拍も、発汗も、優香に嘘がないことを証明している。
  何だか質問の要点をずらされた感はあるが、いかにも優香らしいともいえる言葉だった。
  しかし、本題はここからである。
  聡美は五感に意識を集中させた。そして、唐突な質問をした。
「あのさ、岡山のお爺さん元気?病気とかしてない?」
「えっ、何でそんなこと訊くの?元気よ」
  「ー――」
  とりとめもない様々な思いが互いに打ち消し合い、聡美は立ちつくしたまま静かなパニック
をおこしかけていた。
(嘘だ。でも、優香の臭いに変化はない。もしかして、お爺さんのこと知らないの?でも、
そんな)
「あっ、やばい! 時間だ………警視庁に館長の知り合いがいてさ、ケィコつけてもらう約束
なんだ。逮捕術じゃ今トップクラスだって。急がなきゃ。なんかよくわかんないけど、明日に
でもゆっくり話そうよ!」
  優香が踵を返した瞬間、聡美は目を疑った。
「優香、その髪………」
「ン?」
110
  言葉を失った聡美に、優香は遠ざかりながら笑いかけた。
「アハハ、この髪?ボク、切りそこねちゃったよ。美容院いかなきゃね」
優香が自慢の髪をいつも自分でカットしていることを知っていた。
  性格も立ち居振舞いも、容姿やプロポーションに似合わず少年みたいな優香だが、唯一女の
子らしいこだわりといえば、その長い髪くらいのものだ。だからこそなのかもしれないが、手
入れはきちんとしていたし、毛先をそろえるために常にカットに気を配っていた。
  それが、今日は不自然だった。
                                 ごまか
  女子プロレスラーと髪切りデスマッチでもやったかのようだ。それを誤魔化すためにどうに
か工作した感じに見えた。
  それに気付くと共に、聡美の鼻腔をくすぐるものが気になり出した。おそらくは体育館を隔
てて反対側にある焼却炉からの臭気だ。
  そこから立ちのぼるのは髪を焼く煙である。
  たぶん、頭髪規則違反者の髪が刈られ、焼却炉に放り込まれたのだ。よく知った光景だし、
今日の聡美には刈られた者の人数までわかる。
  鼻腔の内の粘膜が、強烈なインパクトで一つの記憶を蘇らせた。
  月を背に、聡美の発した炎に包まれてもがく黒づくめの女の姿。
  あの女の豊かな髪も、あの時焼け焦げた。
  その火のついた長い髪が、優香の不自然な後ろ髪とだぶってしかたなかった。

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #26 on: November 05, 2009, 06:09:17 pm »
This is chapter 2 part1...


p111            第2章 
              ーーーーーーー
                 怨火
            Lunaticfire


112
(どこへ行ったの……大介!?)
  聡美は思いあまって外へ飛び出した。
  いくら研ぎ澄まされた五感を解放しても、何一つ感じとれない。
  山の上の神社にあるのは、清く神聖な気配だけだ。
                          のっと
草木の吐息と虫の音は、自然界の理に則った正常な営みを繰り返している。
大介の帰りが遅すぎた。
  こんな時の常として、大声で怒ってやらねばと手ぐすねをひいていたが、急に不安になって
きた。
  時折、断らずに母屋の神主のところで夕食を御馳走になることがあるが、その様子もない。
  裸足で土間に下り、戸を開け放って石段の所まで走った。
  鳥居の下に立って下を見下ろしたとたん、主屋の玄関で物音がした。引戸をあけて、神主が
出てきた。
  聡美たちの住まいの方へ向かっていくらしい。
「神主さん、こっちです」
「おう……大介坊は戻ったかね。寝入りばなにバアさまが心配するので、ちょっと来てみたが」
  掠れた声の神主は、裸足の聡美を月の光で知り、全て察した。
「警察に連絡した方がよさそうだ。もう十時半……こんなに遅かったことは一度もない」
「は、はい――おねがいします。あたし、その辺をちょっと見てきます」
「その前に優香君の家に連絡してみよう。知っとるかもしれん……番号の控えは?」
「優、優香ですか……どうして」
  神主の顔が曇る。
「おや、言い忘れとったか。五時近くだったか……優香君が来ておったのだ。大介坊と話しと
るのを、遠目に見た。君の帰りが遅いので夕食にお呼ばれしたこともありえる……」
「あっ、そうですね……」
  急に安心材料が見つかって、胸をなでおろす。
  事が大介のこととなると、聡美は全てを見失うことがあった。数時間前の千穂との会話のこ
とすら、全て吹き飛んでいた。
「来てない・・…・優香も戻ってない?」
  優香がここ数日、道場へ泊まり込みだということをやっと思い出す。
                 かんざきゆきみ
  電話口の相手は、優香の同居人の神崎雪美である。
  知性と美しさを兼ねそなえたその女性は、TVプロデューサーをやるバリバリのキャリアガ
114
ールでもある。いつもの上品でハキハキとした口調で、彼女は言った。
「今日は警視庁へ出稽古のあと、新しい着がえを取りに戻る予定だったんだけど、来れないっ
                                                                      とうかい
てTELあったわ。何かお目当ての練習相手が来れないとかで、そのまま東甲斐大学の柔道部
へ直行するって。その後、連絡ないけど……大ちゃんがどうかしたの?」
  聡美は精一杯平静を装って「何でもない」と告げて受話器を置いた。
  すぐに道場へ連絡を入れるが、優香はまだ戻っていないと言われた。
「ムム……見間違いだったろうか。老眼で遠くだけはよく見えるつもりだが」
  神主は首をひねることしきりだ。
「あたし、大学まで行ってきます」
「もうやっておるまいて……道場へ戻るのだから、そこで待った方がよい」
「でも、優香、もしかすると稽古のあと、バィト入れてるかもしれないし……」
  だったらなおのこと大介を連れ回すなどあり得ないのだが、そうせずにはいられなかった。
  むくむくと黒い腐敗した臭いを持つ思いが胸の中に充満しているからだ。理由がどうとか、
証拠がどうとかではない。もう一度、優香を目の前にして真偽を確かめないことにはおさまり
そうもなかった。
  素足ぞかけ出そうとする聡美に神主は靴をはけと促した。そして悟すように言った。
「聡美君、親の仇をとるみたいな顔をしておるよ。今にも……火を吹きそうだ」
  いつもなら一気に萎えるような一言だったが、それさえ聡美をいさめる効力はなかった。信
じられぬような脚力で、たちまち闇へ消えていく。
  残された神主は、手を合わせて神に祈った。
115


  大介の無事を、そして聡美が誰かを傷つけぬようにと。
          しっそう
  聡美は疾走しながらも、正確に優香の体臭を辿っていた。
  確かに、優香と大介が連れだって歩いたに違いなかった。
  それは、聡美と優香が体育館裏で話してから二時間後くらいのはずだ。聡美はその頃、神社
を離れて野草採取に出かけていた。
  いつもの正面からの登り口を使い、鳥居をくぐって優香はやって来た。境内で遊ぶ大介とし
ばらく話をし、その時に神主に見られている。その後、二人は一緒に別の石段を下りたらしい。
  優香が東甲斐大学へ向かうとすれば、その道筋が最も早い。
  二人の匂いは、山を下り、確実に東甲斐大方面へ進路をとっていた。
  しきりに鼻腔をひくつかせながら聡美は走った。
  「!」
  前方から風に乗って強い香りがやってきた。
  全てが良い形で創り出された汗の匂いである。
116
  大事な試合を前にした一流のアスリートが、あと数日でピークを迎えるために最後の調整を
行っている時の汗に違いなかった。
  無理を強いて心拍機能を引き上げる時期のものではない。
  技を練って体をいじめぬく時も過ぎている。
  そういう人間の体は、強い必要悪で満たされるのですぐにわかる。臭気をあえて表現するな
ら、肉を焦がすというか、酸化させる高濃度の酸であろう。
                    フリーラジカル
  科学的にいえば、活性酸素である。
  むろん、それ自体は硫酸のような臭気を持つわけではない。
  その性質が、そう連想させるのだ。
  人は激しい運動をすると、体内でこの活性酸素を大量に生む。これこそは人を老化させ、朽
ちさせる運命の物質である。
  生きている限り、人につきまとう両刃の剣ともいえる。
  最近では、激しく運動するスポーツマンが、適度な運動しかしない普通人より短命なのは、
活性酸素を多く発生させ、老化をより早くさせるせいだともいわれている。
  人が酸素を消費してエネルギーに変える過程で、酸素の一部が化学変化によって活性酸素に
なる。一般の人間より最大酸素摂取量が高いスポーツマンは、より多くの活性酸素を体内に生
み出すのである。
  そしてこの活性酸素は、病原菌やウィルスを攻撃するための物質でものあるのだが、その反
面、強い劇薬でもある。
  正に、鉄を錆びさせる酸のように、人体をボロボロと崩していく。
  前方からくる者には、それが希薄だ。
  おそらく、それを上回る溢れんばかりの生命力のせいだ。抗酸化能力が強いのである。その
                          スカペリンジャー
上、活性酸素の害を弱める抗酸化物質も、きちんと科学的に摂取しているのではないかと思わ
れた。

  敵に回したくない―ーそんな称賛を送りたくなるくらい、その人物はよく仕上げられていた。
              めす
  悪い意味ではなく、強烈な牝の匂いがする。
  強い女だ。
  おそろしく、強い。
  優香以外には、全く会ったこともない強者といえる。
  やがて、その女の姿が月に照らされて全貌を現した。
  ねずみ色のフードつきトレーナーで、ランニングをしている。
  すらりとして見えるが、その肉のつき方から組み技の格闘技をやるとわかる。
  フードからちらりとのぞく耳にはそれらしく演れた形跡はないが、しっかりした首がそれを
証明するものだった。
  通りすぎ様、聡美は声をかけた。
  向こうが振り向いて声をかけるのも同時だった。
118
「待って」
「おい、ちょっとアンタ」
  正面から向きあって、一瞬互いの言葉を待った。
  ランニング中の女は長身だった。千穂よりさらに高く、172~3mはありそうだ。聡美と
は20m近い差だ。
  その能力の強大さからか、初対面の人間に夜道で呼び止められても全く動じていない。
「あなた、誰?変なこときくようだけど、さっきまで髪の長い女の子と一緒じゃなかった?」
  と、まったく奇妙な初見のあいさつだ。
  だが、相手も奇妙だった。
「ハハ、不思議な人だね。匂いでわかるのかい?」
  鼻をひくつかせる聡美を見て、大らかに笑う。
「たしかに一緒だった。一戦交えたあとに、プールで汗を流したよ。消毒臭くないかい?」
  なるほど石灰の臭いがした。それに隠れるように優香の残り香がある。
  しかし、大介の匂いまでは確認が出来ない。
「あんた、もしや優香の友達の八島聡美じゃないか?噂はよく聞いているんだ。あんた、マ
ジで強えな…………こりゃあ本気でかからないとヤバィな」
  ゴウ――とばかりに、気迫を吹きつけてくる。
  その闘気は、長身の体からではなく、彼女が立つ地面の下からせり上がってくるような気が
119(ilust)
http://img18.imageshack.us/img18/7918/vgncarrot119.jpg
Variable Geo light Novel scans

120
した。
  聡美は思わず飛びのいていた。
「おお、凄えな…………オレの使う力まで読むのかい」
「……」
「おっと、やる気はねえよ。ついね、癖で値踏みしちまうんだ、悪いな」
  ひょいと右手を出す。握手を求めている。
                    すがすが
  とたんに闘気は清々しい涼風に変わっていた。
  くぼたじゅん
「久保田潤てんだ、VGで優香と知り合って、それからたまに練習してる。今夜はなじみの大
学で偶然出くわしてな…………あっちは柔道部へ米たらしいが、遠征中だった。てなわけでち
ょっと手合わせしたんだ」
「あなた、組技の人じゃないの?たぶんレスリングの…………」
「優香からきいてねえのか。オレと優香は、今度の試合で当たるかもしれねえ。組み技ありの
大会でな」
「知らなかった。そうなの」
「鬼王会主催のバーリトゥード戦だ。詳しいルールは当日発表らしいが、血の雨がふるぜ。鬼
主会の後ろの組織が仕掛人だからな」
  聞いていなかった。知っていたのは優香が試合前にいつも以上の猛練習をしていたことだけ
だ。それと、「どうあっても負けられぬ」と館長が言っていたこと。
121
  聞き流していたが、あの館長が言うはずのない言葉だ。
  己を高めるために門弟が試合に臨む時、太子橋は勝負のことなど口にしない。
  その館長が「負けられぬ」と表現するなら、それは試合ではなく、「死合い」をさす。
「知ってるとは思うが、今、格闘技界が妙だ。その連中が、オレらを腕カでまとめようとして
いる。力と金と、弱味のあるやつにはそれを利用する汚ねえやり口で……ン、知らねえのか?」
「あ、いや…………」
  生活苦の聡美に、さらに重荷を与えぬようにとの心配りだろう。優香も館長もそれについて
は全く言及しなかったのだ。
           さんか
「すでにいろんな団体が傘下に入ったって噂だ。歴史も実カも折紙つきの有力団体がさ。この
大会が落ちりゃ、次はプロの世界がのみこまれる…………プロは、大金がからめばなまじ頑固
なシロートの世界よりゃ、ひっくり返りやすいってんで…………人によっちゃ、これが事実上
の関ヶ原って言うぜ」
「その…………正体は何者なのかな?」
             げどう
「わかんねえ…………でも、外道にゃちがいない。だから、知る人ぞ知る旭神館に救いが求め
られたんだろ。オレも頼まれて出る口さ」
  正体不明の組織、それが気になった。
  優香の身辺に形容しがたい不定形の闇が、今確かにある。
「あのさ…………きょうの優香、何かおかしいとこなかった?体調悪そうだとか…………」
122
「ん…………大会直前にしちゃ飛ばしすぎだったな。気を抜いたらやられちまいそうだった。
なんかこう殺気立って……なんていうか」
  自分から誘導尋問しておきながら、聡美は胸がはりさけそうだった。
「痛い拳だった……あいつの技は強烈だけど、気分がいいんだよな、いつもは。まあ、気持ち
テンパってたんだろうな」
「そう、そうね」
「じゃ、オレはまだメニューがある。そいつらはオレが潰すし、優香もやっつける…………そ
したら、あんたとやれるか?」
  久保田潤は何でもなかったようにランニングへ戻った。
  力強い笑顔が印象的な女だった。
« Last Edit: November 19, 2009, 02:27:47 pm by Satoru182 »

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #27 on: November 05, 2009, 06:13:28 pm »
Parts 2-3...
                 2


  大通りから少し入った辺りには今が稼ぎ時の店ばかりだ。
  行政側が日を光らせはじめたテレクラが狭い一角に集中している。
  そこへ通う男性を横からかっさらうコギャル風の若い女たちが、最近この近辺では噂の的だ。
123
逆ナンパ通りと呼ばれ始めている。さらにその娘たちを狙う男も増えるので、昼間より夜の人
口が多い感があった。
  この通りを抜けると、すぐに大学の建物が見えてくるはずだった。
「?」
  優香の匂いが二又に分かれている。
  一つは、大学の方向へ優香一人で、もう一つは目抜き通りの横断歩道を渡って、正面の店へ
消えている。こちらは大介と一緒だ。
  それは、優香のバィト先、「スカラーク」だった。
「アラ、聡美さん。お久しぶりね?」
「あ、かおりさん…………」
  メガネをかけた女子大生風の女が声をかけてきた。
  おっとりした感じのメガネ美人である。
  やなせ
  梁瀬かおり――優香とはVG大会での戦友であり、「スカラーク」近くの「モーヒー館」で働
くということもあって、かなり親しい。聡美も何度か会ったことがあった。
「どうされました?なにか大急ぎみたいでしたけど」
「弟の大介がちょっと見あたらなくて…………」
「大介君、ああ、大きくなりましたよね。大きくなったのにあどけなさが抜けなくてとっても
カワィイわ。聡美さん可愛がりすぎじゃありません?」
124 illust
http://img527.imageshack.us/img527/6896/vgncarrot124.jpg
Variable Geo light Novel scans

125
今見たとでもいう感じである。
聡美は思わず肩をつかんで揺さぶっていた。
「あっあっ、痛いわ!」
「………・ごめんなさい。すみません………・」
半泣きになりながら、かおりは証言した。
「あのねっ、うっ、グスッ…………七時すぎにね…………この辺で、優香さんとね……………ウ
エッ」
「あの、スミマセン―ーコレ」
何十回も洗たくしてゴワゴワになったハンカチセさしだすと、かおりは涙と鼻水をそれで拭(ぬぐ)
った。前回のVG準優勝者だというので、まさかこんな泣き虫とは思わなかった。
「ウッウッ・…・……・優香さんとね、スカラークへお食事に行きました」
「大介、泣いてたりしませんでしたか!?」
「ええ……そういえば少し。何か優香さんも恐い顔で……大介君、額にバンソウコウを……」
おびえて泣き止まないかおりを残して、聡美は早々に礼を述べて退散した。
「スカラーク」の扉をあけると、いきり立った聡美にレジの娘が硬直した。
126
優香と大介は、ずっと前に食事を終えて店を出たという。
店を出てから東甲斐大学へ走ってみたが、もちろん閉館されていた。
敏感な嗅覚は、優香が一人で大学の門を出たことを確認した。かすかな石灰臭が、久保田潤
の証言をも裏付けている。
(あの交差点は…………)
気になるのは、そこだ。
あそこで二方向へ足跡が分かれたのは何故か?
  野生の熊は一人前のマタギでさえだますテクニックを持つという。自分の足形を逆に辿った
り、水の中へ入って臭いを消すのだ。あれは、それに似た意図的な行動を示すのか。
「スカラーク」を出た後、交差点で大介のみが消えているのは車に乗せたのかもしれない。
優香がお金を払って、タクシーに乗せたということも考えられるが、大介がその後、どこか
で降りて一人で夜遊びするとは思えない。
  タクシーの運転手が、突発的に誘拐ーー!?
  金持ちでないと知り、発覚をおそれ…………その先は考えたくもない。
  あるいは何かの理由で、優香が誰かに引きわたした…………。
  巡り巡って、悪い方へばかり考えが広がっていく。
  神主へ連絡しても、誰からも連絡はないという。
  続いて電話を入れたのは旭神館だった。
127
  すると館長は、優香は先程戻ったばかりだと言う。
「居るんですね、優香…」
  大学を出て、道場まで歩いても三十分というところだ。聡美の鼻によれば、優香が大学を出
たのは九時前後。
  今がもう午前0時だから、空白の二時間半がある。
  何をしていたのかーーそれを問いただすため、聡美は走り出した。


                 3


「どうしたの、こんな時間に。さては急に空手が恋しくなったんだ。ボクと稽古したいんでし
ょ、コイツめっ」
  キュートでいたずらっぽい笑顔。何も変わらぬ優香がそこにいる。
  道場の隅に蒲団を用意し、その上にちょこんと座っていた。聡美はそのすぐ前で正座をして
見つめた。
  いつもの親友を目の前にして、またも聡美はわけが分からなくなり始めていた。
「優香、今日、神社へ来た?」
128
「うんー―大ちゃんと会ったよ。放課後に話が途中になったし、近道ついでにね。聡美、まだ
帰ってなかったね。謹慎中に外へ出かけるなんて、らしくないね。そういうとこ聡美きびしい
じゃん。しばらく待ったんだよ」
「ええ、まあね」
「で、何の話だったっけ……話の続きは」
聡美は慎重に優香を観察した。もちろん、自分のいろんな表情を殺してである。
優香の体から、大介の匂いがする。
       ひのき
少し前、館長宅の桧風呂に入ったことがわかるが、それでも微量ながら残っている。何者に
も代えがたい唯一の肉親、大介の残り香は、決してたがえることはない。
「スカラーク」で優香が食べたメニューも嗅ぎとれる。
  ホウレンソウのフレッシュサラダである。
                        いた
生のホウレンソウにオリーブオイルとカリカリに妙めたガーリックを乗せたメニューで、優
香はそれをオレンジジュースで流し込んでいる。優香は就寝時の歯みがき前だったので、はっ
きりとわかる。
  だが、自分の嗅覚はこうまで冴えわたっていると自覚しながら、何から何まで、自分を信ず
るに足るものがまったく得られないのだ。
優香から漂ってくるべきものが他にもあるはずなのに、それが全く感じとれない。
  久保田潤の持つ、あの独得の匂いがかけらも見あたらない。
129
  消毒液に消されたのではなかった。
  石灰臭自体がないのである。
  優香は、聡美の鼻が異常に敏感であることは知っている。それがどの程度のレべルか把握し
ているかどうかはともかく、それを警戒して何らかの処置を施したのか。しかし、それならば、
ホウレンソウサラダや、大介との接触すら隠されていて当然である。
  何か、訳のわからないちぐはぐさがある。
  その理由を察しきれないまま、聡美の中であらゆる感情がもつれていく。
  心は嵐の中の帆船のようであった。
  聡美は、それでもなお冷静さを装わねばならなかった。
  事は、大介の命にかかわる。それだけが強迫観念としてあった。
「そういえば、ロシア風の………なんていったっけ…………」
  聡美は、あまりに唐突に口を開いた。
  汗の染みこんだ冷たい床の上に、何気ない世間話が妙に浮いてしまうが、それを気にしてい
る場合ではなかった。
「ロシア風ハンバーグセットー―『スカラーク』の秋の新メニュー、あれ評判いいんだってね。
『びっくりモンキー』の店長が客もってかれてるってプリプリしてたよ」
「あっ…………あっそう。そりゃ大変だ、アハハ。ボク、ここんとこお店いってないんでわか
んないんだ」
130
大介が食べたメニューだ。聡美はしっかり裏を取っていた。
「それよりさあ、組み手の相手してよ――今日はさ、結局いい相手がつかまんなくて、今から
館長おこすわけにもいかないし………さ、聡美?」
「…………………」
              さわ
「どうしたの?ボク、何か気に障ること言った?」
  聡美の肩が震えていた。
膝頭がスカート越しに床を叩き、音さえたてそうだ。それを抑えようと手を膝に置いてみる
が、茶色のスカート生地を掴み破りそうになっている。
  そんな聡美に、優香は膝で歩いて近付いた。
「聡美、気分でも悪い?」
「…………」
「もしかして、アレの頃だっけ…………」
優しい気遺いをみせて、優香が聡美の顔をのぞき込む。聡美は顔を伏せ、優香から視線をそ
むけていた。
「ねえ、聡美ってば」
「触るな!」
  聡美の肩に伸ばした優香の手が、きつい音をたてて払いのけられた。
  一条の雫が、さみしい音色で道場を濡らしたのはその後だった。
131
「聡美ィ…………」
「優香、どうして嘘をつくの?」
「えっ……う、嘘って」
「生理の時は満月の時…………あんたが思っている以上に、あたしは何でもわかるの。あんた
今、確かに嘘を言った」
  ゆっくりもたげた聡美の顔は、涙でくしゃくしゃだった。
  もう感情を抑えることもできない。
  大介の身を案じていながら、それでも止められぬ突発的な怒りに支配されていた。
  優香の動揺、優香の嘘。
  そんな事は、これまで一度もなかった。
  どんな小さな隠し事も、自分を飾るためのささいな大口も、優香という相手に感じたことは
なかったのだ。
  最初はそこに不思議さや違和感を覚え、なんとなく距離をとった付き合いから始まったこと
を覚えている。
  やがて心底から真っ正直の優香を知り、無二の友となったのだ。それが、よりによってこん
な時に初めて優香に裏切られるとは。
  そのことへの悲しみは、聡美の中で計りしれぬ大きさであった。
「あんた、掌に汗をかいてる。嘘ついてる人間のそれはすぐわかるのよ」
132
  優香は払われた手をひっこめ、懐にしまうような仕種をした。握った掌から、湿り気を帯び
た音が届く。聡美には、それが激痛に近い大音量に感じられた。
  脈拍も呼吸も図星をつかれて乱れている。
  母親に叱られる子どもみたいに背中を丸め、しまったという感じで肩をすぼめる。眼球はす
ばやく左右に激震を見せた。これから口にすべき言い訳を考える状態だ。
  優香の五体が明確な虚言を物語っているのだ。
  だが、そんな動揺もすぐに消えた。
  優香は聡美の指摘を否定し始めたのである。
「なんのこと言ってるの。嘘って何よ」
  逆に強く出ようとする口調に、聡美の怒りが増していく。
「弟を、大介をどうした!?」
「どうって………………なによ、それ?あたし何も」
「ふざけないでッ! 本当のことを言いなさい!『スカラーク』でごはん食べさせて、それか
らどうしたの! 何で大介は泣いてたんだ! バンソウコウをはってたのは、誰がつけた傷だ!」
「…………食べてないよ、一緒にゴハンなんて」
  優香の表情の中に小さな決意のようなものが生まれている。真実を隠す何らかの理由、それ
を正当化する大義名分を思い出したように見える。
「…………なんで、なんで……………いったいあたしに何をしようって言うの……放火事件もあ
なたの仕業なの?………」
133
「ええつ?」
  今聡美が相対する優香が、これまでによく知った人格であり、その人格が現時点で嘘を言い
張っていることは確かだ。優香の生体反応は、嘘を平気でつけるサイコパスのものではない。
  そうだった方がどれほど楽しかったろうと聡美は思った。
「優香、あんた――『スカラーク』を出た後、大介を車に乗せたわね。大介の匂いはあの道路
で消えてるわ。だませないよ…………何でもわかるの」
  優香が再びうろたえた。
  聡美の探求能力の恐ろしさがそこまでのものかと初めて知った様子だった。そして、彼女の
激昂ぶりに鼻白んでいる。
「あんた、大介を車に乗せてどこへやった! 誰に渡した! 言うのよっ!」
「誰…………どこって…………いないの!?」
「ええ、そうよ、まだしらばっくれるのね。なら、もっと言ってあげる! あなたはそのあと、
大学へ行き、久保田潤とスパーリングをした! これは本人から確認済みよ。その帰り、正面
玄関を出て100m地点で車に乗った。そこから二~三時間の空白…………そして何くわぬ顔
でここへ戻った。その時間、どこで誰と何をしてたの! 何の目的があって大介を!?」
「―――」
聡美がまくしたてる間ポカンと口を開けていた優香は、泳いでいた両目の焦点をとり戻すと、
134
一挙に投げつけられた情報を整理するように話しはじめた。
「ちょ、ちょっと待った――何か変だよ。正直言うと、一緒に食べたよ。おなかがグーグー鳴
ってたから…………あたし、前にこっぴどく怒られたことあるじゃない? "施しはいらない"
って。大ちゃんも内緒にしてって、だから…………」
          つじつま
「今度は苦しまぎれの辻褄合わせ!?」
「なっ何言うの、ちゃんと間いて。あたしそれに、大ちゃんをタクシーにのせてから一人で…………」
優香が、また眉をくもらせて唇を結んだ。
「―― 一人で、大学へ行ったのよ!」
「行ってない。行かなかったんだよ、ボク。事前に連絡いれたら柔道部不在っていうから。で
も、なんでそんなこと言うの?わけわかんないよ、妙だよ」
  何かを上手く伝えられず、優香は焦れたように立ちあがり、聡美の方へ一歩近づいた。
「ねえ、変だよ何か…………グッ」
優香の不用意な動きに反応して、聡美は容赦ない前蹴りを入れた。
  へそ           こし  
  臍の下、三寸ほどの下腹部を虎趾がえぐった。
                        かれつ
  聡美の攻撃は、とっさに出たというにはあまりに苛烈だった。
  足指を天上へ反りかえらせた時に出来る、足底の先端の部分を、空手の言葉で虎**離**あるいは
                                        ね
中足と呼ぶ。それで腹筋を突き、さらに指を捻じ込むように伸ばしながら膝のバネを生かして
押した。
135
  聡美は体内へのダメージを残すことをはっきり意識していた
  優香は、前蹴りなど全く予期していなかった。いや攻撃されること自体への発想がなかった
ように見える。
  その打たれ慣れたはずの肉体からは、一切の防衛機能が解除されていたのである。
  空手などやったことがないように、この時の優香はもろかった。
  体をくの字に曲げるどころか、尻から先の体をそのまま後ろへ飛ばされて、前のめりにべタ
ンと落ちた。
            ぷざま
  それからの無様なもがきには、地面に釘で止められた蛇ほどの勢いもない。
                きこうだん
「もう、しばらく気吼弾は使えないね」
「あ…………アウッ………」
  気吼弾とは、体内を巡る気を挙頭から放ち、触れ合わずに相手にダメージを与える技だ。
              けい
  中国拳法で勤の効いた打撃、と表現するものを、優香は離れた位置から行えるのである。
  拳頭を介して相手に浸透する物理的な力を勁と言う。
  そして、勁という力の中に宿る測定不能の本質的エネルギーこそが、気と言われている。
  優香は空手をやる前から、祖父から習い覚えた日本古武道の下地があり、その一部が気を操
る技術だった。
  満月期の聡美でさえ、気吼弾は封じておきたい飛び道具だった。
「さと…み………なんで?」
136
やっとのことで身を起こしかけた優香は、ロから血をしたたらせていた。
倒れて顔をカバーする余裕さえなく、床に打ちつけたのだ。
「あたし………闘う、つもりなんてないよ。ねえ、大ちゃんがいないってどういうことなの?」
「まだ言うの!!」
聡美は再び容赦ない蹴りを見舞った。
肘を使って床から上げたばかりの顔面へ、本気の下段廻し蹴りだった。
                            すね
優香には身をよじって上体を逃すくらいしかできない。聡美の脛は優香の肩に入った。
重く鈍い肉の震えは、その威力と痛みを物語っている。
優香の体は冗談のように吹き飛んだ。
恐ろしいばかりの空手の技と、満月に味方された超絶の筋力であった。蹴られたのが肩でな
ければ、優香の肉体がどうなっていたかわからない。
                         でんぶ
空中をもんどりうち、羽目板に叩きつけられた優香は、臀部から落ちて壁に背をあずけた。
気を失うまいと頭を振るが、その動きも緩慢だった。
大きく揺れた壁から、窓の枠にハンガーで掛けてあった優香のセーラー服が落ちる。
  その同じ窓から風が入り、ある臭いを聡美に届ける。
「ンッ!?」
「…………聡美、何かわかんないけど。ボク、聡美が思うようなこと、してない…………ボク、
大ちゃんとも親友なんだ。聡美の弟だからじゃなくって、一人前の人間として親友なんだ…………」
137
  聡美は優香の言葉を聞いてはいなかった。
  セーラー服を手に取り、もう一方の手で優香の胸ぐらをつかんだ。つかんだ拳がずり上がり、
顎を突き上げ、後頭部を壁に叩きつける。
「優香ッ、あんた、あんた大介を、――撃ったのか!?――殺したのか!?言え―――――っ!!」
  がん。
  がん。
  がん。
優香が気を失っても、聡美は何度も何度も揺すりつづけた。
「聡美――八島聡美、何をしているか!」
  異常に気付いて駆けつけた*太子橋館長*である。
  聡美を優香から引き離し、後ろから足払いをかけた。そうでもしなければ、聡美は止まらな
かったからだ。
「目を覚ませ…………何という有様なのだ」
「先生――どいて下さい! 聞きださなきゃ、言わせなきゃならないんです! その女、大介
を殺したかも!」
「――有り得ぬ」
                しゅんじゅん
  ためらいも、逡巡もなく、太子橋は言い切った。
「この、この服から火薬の臭いがするんです!銃を撃ったときの!」
138
  聡美はその臭いをよく知っていた。
三度目に引き取られた家の主人は、時に猟に出かけた。聡美はその度に連れ出され、猟を手
伝わされた。単なる助手とか、レジャーの共ではない。彼女は猟犬の役目だった。
撃った獣を、口にくわえて取ってこいと言われ、嫌がればぶたれた。
忘れようのない苦渋にみちた硝煙の臭いが、優香の服に染みているのである。
  聡美はそれを突き出し、優香を腕に抱く恩師に言いつのった。
「近づくな。これ以上の間をつめたくはない。獣の目、鬼の目をした者とは…………」
「!」
  聡美の体がぴたりと止まった。
太子橋の言葉は、聡美の心を読むかのように最大の効呆をあげた。
  聡美が身を凍らせ、死にたいと思う言葉だった。
「私の鼻は獣のように効かぬ。しかし、武内優香という人間は知っている。万が一その匂いが
あるとしても、この娘は人を殺さぬ。人を殺す目をしているのは、君の方だ」
  聡美は力が抜けたように足許の床を見ていた。
思い出のいっばい染みついたぴかぴかの床だ。
                   みが
きれい好きの聡美は、誰よりも多くこれを磨き込んだ。優香と初めて出会ったのもこの床の
上ならば、技をぶつけ合うたびに心を固く結び合ったのもここだ。
  今は、その床に優香の赤い血が飛び散っている。
139
  その小さな血溜りに、自分の流した悔し涙が流れ込んでいく。
「フフ…………フフフ、出会わなきゃよかったんだ。こんな所で、まっとうな人間目ざしたか
らこんなバカを見る。フフ」
「何と……」
「獣でよかった。別に悪魔でもなんでもよかった…………身に染みてたんですよ。"誰も信用す
るな" "優しいふりになんかダマされるな"って、あんなにみんなが教えてくれたのに」
「……」
  聡美は太子橋に背を向け、壁にかかった自分の名札に向かって歩きはじめた。
「先生、最後に一つだけ聞かせて下さい」
「何だ」
「武内優香とは、いったいどんな人間ですか? 何を目的に強くなり、何を背負ってここへ来
たのですか?」
太子橋はやはり、いかなる事態にも不動の魂を持っているようだ。その深い眼光からは何も
読みとることはできない。
  だが、阿修羅仏のような眼差しと不動明王に似た唇だけは信じられると思った。
「優香君は、君ですら考えられぬほどの重き宿命を背負っている。並の者では、と&#
« Last Edit: November 19, 2009, 02:28:41 pm by Satoru182 »

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #28 on: November 05, 2009, 06:16:00 pm »
「…………」
「いえ、いいです。…………お世話になりました」
  出ていく聡美を追って、太子橋が最後の言葉を投げた。
「師として最後に一つ言わせてくれ……」
「?」
「空手を教えることで――私は君に恐るべき凶器を持たせてしまった。済まぬ」
「お気付きでしたか」
  太子橋は、この時初めて苦汁に眉を曇らせた。我が子を失った親のように悲痛極まりない表
情であった。
「"内歩進初段"……あれが君の炎を強めた。獣のような能力も、内歩進の上達に伴ってのこと
だったろう」
「……いいんです。空手家としては、当然納めるべきものでしょう?」
  内歩進の型は、多くの流派で誰もが最初に教えられる型である。
  この型は初段から三段まであるが、元々は一つだった。二段、三段は近世になって創作され
たものてある。
141
  空手が唐手であった頃、「内歩進に始まり内歩進に終る」とされ、実戦に必要なあらゆる要素
をその挙動の中に内蔵すると言われた。
      もとぶ わどう
  現在でも本部流、和道流などでは最重要視される型である。
        つ
  聡美は、一時期は憑かれたようにこれだけを演じたことがある。
  他の型には目もくれずに、空手を始めて一年で、一万回以上を数えたのだ。
  本能的に実戦向きと悟ったのか、体の中の何かがそう仕向けたのか、今となってはわからない。
  しかし、内歩進の型が上達すると共に、聡美はめきめきと腕を上げた。
  元来あった能力も飛躍的に伸び、満月期に今のような常人離れを示し始めたのもこの頃であ
った。型で体を練る動作が、聡美の特異体質に余程合っていたのだろう。
           まがつかみ
  それは禍津神の意図か、武の神の与えた宿命か、聡美の持つ発火能力をも高めてしまったの
である。
  つまり、発火の原因となる滞電体質を、内歩進の型が開発した…と、太子橋は考えていた。
  聡美の起こす放電現象は、室田の指摘した安物の下着や衣服の摩擦のせいばかりではなかっ
たのだ。
  デンキウナギ等の発電魚は、筋肉組織の変形によって発電器官を形成している。おそらくそ
れに似たものが体内に出来てしまったことは、聡美本人が自覚していた。
142
  放電のスパークで、聡美の流す血液が燃焼する――それがあの恐ろしい炎の正体だ。
  血がなぜ良質の燃料となるのかまではわからない。
  聡美は、これまでほとんど医者の世話になったことがなかった。医療費がかさむという理由
だけではなく、自分の異常体質を明確にされるのを嫌ったからである。学校の身体検査も、毎
回避けて通ってきた。
  人間以外の何者かである――と、断定されるのではないかと思っていた。
「君は内歩進を極めることで、自分の意志で炎を発することが出来るようになった。空手道の
心は、その力をも正しく制御出来るものと信じておったが……」
「館長のお気になさることじゃありません。自分の意志といっても、月が満月に近い時だけの
            ウルフエン
こと……要するに呪われた人狼みたいなものなんです」
「師からの願いだー―もう、その挙から炎を放つな。その炎は、いずれ君自身を追いつめ焼き
殺す。そんな気がしてならぬのだ」
  太子橋が二つの挙を床に着いて、頭を下げている。背後のその姿が、聡美には気配でわかる。
「頭を上げて下さい、館長」
「君の突きには一撃必倒の威力がある。突きだけで言えば、私や優香君さえ超えているようだ。
もしVGに出場したとしても、その突き一つで勝ち上がれるかもしれん……君にはもう、炎な
ど必要ない」
  聡美には、太子橋の願いを聞き入れることができなかった。
143
「無理です。……呪われた炎は、呪わしい者を焼き尽くすまで止みそうもありません」
  聡美は背を向けたまま礼をし、月の下へ走り出した。
            おえつ
  道場から遠ざかると、嗚咽の声をためらわなかった。

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #29 on: November 05, 2009, 06:18:11 pm »
                 4


  警察の捜索が始まった。
  神社のある山を中心に、周囲の田園や河川敷などが徹底的に洗いだされている。
  誘拐の可能性も考えて、神主の家の電話には逆探知の装置が用意され、犯人の身代金要求を
待ちかまえている。
  警察の調べでは、大介は本当に一人でタクシーに乗り、この近くで降りたことになっている。
その後、一人で事故にあったかさらわれたと見ているのだ。
  聡美は、優香のことについて、捜査陣には何一つ言っていない。
  もう、聡美には己の能力と、拳の他に頼るものを持たないのである。
  財産もなく、今や友すらいない本当の無一文の自分に、誰が何を要求するのか想像もつかな
いが、いずれにせよ弟がそれで助かるなら、何でもやってやる。
144
その代わり、もうすでに大介の身に何かあることがわかったなら、その相手をただでは済ま
さない。それがどんなに強大な組織でも、一生かけて皆殺しにしてみせる。
聡美は狂ったように、巻き藁を叩きつづけていた。
事情聴取が終わった早朝から、もう十時間以上である。
杉に荒縄を巻いた巨大な巻き藁が、血みどろになった。
気を静めたくてやっているのに、山ごと焼き払いたい衝動がある。
捜査員たちが、ちらちらと聡美を見る。
皮が破けて血をまきちらす拳を見て青くなり、それから目をそむけて遠ざかっていく。
  一様に丑の刻参りでも見てしまったような顔をする。
終業を知らせる母校の鐘の音が、風に乗って届いたのはもう三時間も前だ。
                たいまつ
警官たちは、完全に陽が落ちる前に松明を用意した。
松明に火が入って程なく、聡美の頭上に何かが近付きはじめた。
高い木々の上を高速で移動してくる。
  人とは一思えなかった。
木から木へ飛びうつる身のこなしは、野生の猿を超えてなめらかだ。
聡美は目を向けず、嗅覚と聴覚でそれを把握している。
(千穂か――いや、千穂はその後をつけてくる…………)
  聡美に近づく人影は、二つあった。
145
  聡美は、知らぬふりを続けながら拳を止めた。
  汗を拭くそぶりで、上を見上げる。警官たちはまだ気付いていない。
  聡美の上空10m辺りで、二つの影が重なり合った。
  互いの持った武器で斬り結んでいる。
  千穂が苦内をふりかざすのに対し、その相手は丸腰にしか見えない。
(…………優香か!?ー―ちがう。何だアレは!? 爪で苦内をはねかえしてる!)
  それは、月明かりに踊る獣人の影であった。
  千穂に攻撃を仕掛ける腕や脛に、異様に長い体毛が判別できた。
  その体から発する獣臭が、警察犬たちをおびえさせはじめる。しかし、異変に気付いた人間
たちがその原因を知ることはついになかった。
  警官たちが次々に倒れ伏していく。
                        したぱ
  一人また一人,青臭い下生えのベッドで寝息をたてはじめる。猛烈な睡魔に襲われたことは,
実に健康そうな鼾の連奏で明白だった。
「聡美、気を付けろ! 煙を吸うな! おまえも上にのぼれっ! こいつの狙いはアンタだ!
…………それに、一人じゃちょいとヤバイんだよ!」
  聡美もすでに、眠気をさそう空気を肺に入れてしまっていた。それ自体は無色透明にして無
臭だったが、それは松明が燃えると同時に効果を発揮したに違いなかった。
  各所に配置された松明の傍に、幾つかの人影がある。敵は怪物一人ではなかったのだ。
146
「そうか……警官の中にまで回し者が」
  聡美は閉じかけるまぶたに抵抗するが、脚から力が抜けていく。余力がないことを確認して、
数個の人影が千穂に向かって移動しはじめた。
  それと入れ替わって、どん――と、巨大な獣が聡美の前に降り立った。
  聡美はその顔を見た。
  それは、猿の顔をしていた。
  だが、動物園で見る類人猿の範中にあるものではなかった。オラウータン、チンパンジー、
ゴリラ、そのどれとも違う。
明らかに、もっと人間に近い存在だ。
               イエティ              UMA
強いて猿に分類するなら、伝説の雪男等と同じく未だ捕獲されていない未確認動物というこ
とになるだろう。
  顔も体も剛毛に覆われているが、その脚は完全な直立二足歩行を可能にしていた。それどこ
ろか、脚の運び方は武道を嗜む者としか思えなかった。
  木から木へ飛び移る強靭な腕はゴリラより太い。しかし、その先の五指は、地上ぞ最も器用
な人間と同じ構造である。
  人間とそっくりな部分は、他にもあった。
  はちきれんばかりに隆起した乳房が見える。
147
  そこだけが獣毛の中から真っ白な肉を露出させ、赤い乳頭を際立たせていた。
  獣には似合わぬ美しい果実だった。男好きのする乳の形を持っている。
  ただでさえ発達した大胸筋の上にある乳房は、獣人の着けていた衣服を引き裂いてしまった
ようだ。白い布切れが、坊主の袈裟のように肩から垂れ下がっている。
  腰にも、黒い下着状のものをつけてる。
  それらは何と、聡美の学園の体育着とブルマーに違いなかった。
  そのブルマーの中に、強く張りつめたものが見える。
  紺色の生地を押し上げるそれは、聡美の手首ほどの太さを持っていた。
  怪物が牝なら、それは巨大な陰核のはずだ。しかし、その長さが二十五cmはありそうだった。
  その上それは、ビクビクと動いた。蛇のようにいやらしくもがいた。
「だ、誰……?」
  聡美は人間を相手にするように訪ねた。
  そして獣は、人の言葉で答えたのである。
「……ワ……ワカラヌカ」
  それは極めて聞き取りにくい日本語であった。獅子や虎のごろごろという喉の音に似た渇音
に交じり、断片的に届いてきた。
  変形した口と声帯では、それが限界らしかった。
「私ノ、ザトミ……モウズグ……身モ心モ、私ノモノ……ニ、ナル」
  人間味に*溢*れた好色そうな瞳が、獣毛の中から聡美の体を舐めまわす。
148
どこかで見た目だと、聡美は感じていた。
視線が合わさったとたん、残っていた力が全て抜けてしまい、動けなくなった。
倒れかける聡美の体を、大猿の腕が抱き止めた。
「離せ……」
「グクク……クフウ」
信じ難いほど長いべロが現われ、聡美のうなじに貼り付く。
  べちゃべちゃと音を鳴らして動き始めた。
「ウア……ウウ』
「クヒュッ……クウゥ。甘イ……良イ味ダ」
その舌は、飛び散った聡美の血をすくい取っていた。
同時に、血の量より多くの唾液を塗りたくる行為でもあった。鎖骨から耳近くまでを一気に
汚された。
それから、聡美の空手着を胸まではだけ、鼻を近付けて匂いをかいだ。
極上のワィンの香りを確かめる仕草によく似ていた。
松明の煙のせいか獣人の邪眼のせいか、聡美には一切の自由がきかなかった。なんとか意識
を保っているのは、このまま眠ったらどんな凌辱を受けるか知れないと思ったからだ。
  舌の動きには、そんな恐怖が感じられた。
  野獣の捕食ではなかった。
149
ilust
http://img684.imageshack.us/img684/1725/vgncarrot149.jpg
Variable Geo light Novel scans

150
   いんとう
魔獣が淫蕩なる儀式を取り行おうとしているのだ。
「弟ハ、我ラガ……手ニ有ル」
「……なぜっ」
「一ッノ、キッカケダ。我々ガ潔ヲ交スタメノ……」
獣の指が、道着の下のTシャッをたくしあげる。同時に黒帯をほどいて、聡美の下着を薄明
かりに晒け出させていく。
「ククク……私ノ贈リ物、ッケテイテクレタカ」
「室田――室田奈美恵!?」
獣人の大きな口から、黄ばんだ歯がこぼれる。
太いミミズのように蠢く舌が、聡美の下着をなぞった。
自分がプレゼントしたべージュのショーッに手をもぐり込ませ、若草の探索を満喫している。
「アア……やめっ…て」
「オマエノ過去モ、全テノ環境モ、コウナルタメニアッタ。私ト出会イ、愛シ合ウ運命ダッタ」
「くだらない。あなたみたいな化け物と……ウッ」
獣人、室田の指がいきなり秘唇を攻めてきた。
痛みと恥じらいが、そして、馴染みのない何かが聡美の股間に疾った。
そこは、ぬかるんでいた。
経血だ。
151
しかし、それとは別のものを体の奥から引き出されてしまった。
          もてあそ
  聡美は、自分のそこを玩んだことがなかった。狭い部屋に弟がいたせいもあるが、そんなこ
とに興味を持つ暇もなかったのだ。
  バイトと家事と学業で、眠る暇もない人生だった。それでも余るエネルギーは、全て空手に
注ぎ込んできた。性知識に乏しいわけではなかったが、自分にとっては身近なものでは有り得
なかったのである。
                                       ろうらく
  だが、室田の淫技には、そんな未開発の体をも潤ませる巧みさがあった。多くの少女を寵絡
し、虜にできたのはそのためなのだ。
  室田は、聡美の乳房をまさぐり、気持ちと裏腹に立ち上がった突起をいらった。下の方では、
経血と愛液をゆるゆると掻き混ぜながら。
                   さげす
「私モ、同ジダッタ。憎マレ、裏切ラレ、蔑マレテ生キテキタ」
「あ、くっ……」
  男の陰茎の如く節くれ立った指が抜かれたのである。
       がんくぴ              うめ
  第一関節が雁首のように引っかかり、秘口の刺激に呻きを抑えられなかった。
  とっぶりと赤く染まった指先を、室田は愛しそうにしゃぶって見せた。
  はか
  破瓜されたのではと心配になるくらい、指の深い部分まで挿入されていたとわかる。それで
も聡美は動けなかった。
                  あぶら
「コノ甘露ガ、アノ炎ヲ生ム。ワカル……脂ノ中ニ、嫉妬ト殺意ガ満チテイル。我ト同ジク、
152
月ノ夜ニ生キル者ノ証ショ」
  室田は血を舐め尽くした後、まだ足りぬとばかり、聡美のショーツをくるりとMU*剥いた。
  臭い舌が、はぜ割れた美肉に襲いかかる。
  血と蜜で妖しく光る聡美のクリトリスは、あっという間に室田のものとなった。
  初めてのクリニングスは、とてつもない恐怖と快楽をもたらした。
  ピチュ――
  という媚音の後、聡美の体がわなないた。それは生まれて初めての絶項だった。
「――ふうあッッッ!!」
  聡美がオルガスムスを迎えると同時に、室田の股ぐらで淫蛇が動きだした。
  ブルマーから抜け出して、ずるずると伸びた。もちろん、聡美の秘腔へと――
  その正体は巨大な陰核でも陰茎でもなく、猿の尾っぽだった。しかし、その動きは如何なる
バイブレーターより恐ろしい快楽を生むに違いない。そして、男根など比類すべくもない征服
欲に満ちている。
  一本の肉の管、それ自体が聡美の粘膜を吸いたがっているようだ。
  貫き通したい欲望をこらえるように、それは秘芯の手前でダンスを踊った。
「グククク……コレニカカレバ、タトエ生娘デモ溺レテシマウ」
  それは、獣の淫らな思いを具現化する万能の性具ぞあった。
  聡美の入口に――尾が刺さった。
153
                うず
  メリメリと奥へ進みながら、桃色の疼きと激痛を生み出していく。
室田の尾は、すぐに処女膜へ辿りついた。
薄い皮膜など、その気ならいつでも突破できる。それなのに、そこにとまって楽しもうとし
ていた。
くいっ、くいっーーと、弾力を確かめて悦に入っているのだ。
聡美は言った。
「もう耐えられない……早くして」
「クククーーコレヲ待ッテイタ」
尾が一気に突き入ろうとする。
その痛みで、聡美は激しく震えた。
それが、聡美の最後のチャンスだった。
内奥からの震えが、体内の発電器官を作動させたのだ。
聡美は、その震動を腰から胴体、さらに肩と腕を通し、掌に伝えた。
発火は成功した。
「ギャーアアア!ギャギャッ!」
室田の口から獣に相応しい悲鳴があがった。
ぐれん                   あぶ
紅蓮の炎は長い舌をチロリと祇めて、室田の顔を炙っていた。
「好きなこと言って……。あなたの仔猫になんてならないわっ!」
154
「グクウーッ!!」
聡美の内に強い憎悪が生れていた。
炎の強さが、それを示した。
じゆんと、己の肉が焼けるのもかまわなかった。
その痛みで、室田の邪眼の呪縛から逃れることができた。
     いっせん
聡美が腕を一閃する。
血が空宙を駆け、それを追って炎が疾っていく。
室田の足許が、火で包まれた。下生えなどは次の瞬間炭化し、跡形もなくなっていく。
紅の円陣が出来あがり、巨大な猿の体に今にも燃え移りそうだった。
室田は上へ逃れようとするが、それは果たせない。
                        いかく
室田の手下共を倒した千穂が、樹上から苦内を構えて威嚇しているのだ。
「聡美――殺さずに生け捕るんだ!」
千穂の指示に、聡美がうなずいた。
聡美は大きく前へ出た。
目の前に何もないかのように炎の壁を空破していく。
                 いぴつ
炎を割って円陣に進入すると、五つの歪な爪が迫っていた。
室田の貫き手だ。
聡美の上段受けが、それを防いだ。
155
  そして、払った貫き手に指を掛けて引き込む。素早く一挙動でこれを行うことで、室田のバ
ランスは崩された。
  ごっ――という唸りの後、大木が倒れる時の音が響く。
  めきめきと、室田の胸骨がへし折れたのである。
  胸部の急所、壇中を正確に射抜いていた。
常人ならば、死に至りかねない打撃であった。
  その一撃は、中心の胸骨と肋骨を五本もへし折ったのだ。
  さすがの獣人でも、やはりダメージは大きかった。
  背後の木の幹に叩きつけられ、そこで動けなくなっていた。だが、あの眼差しは消えていな
かった。
愛情と、淫らさの混在する視線だった。
「我々ノヨウナ者ハ、食イ物モ、欲ッスル者モ、居ル場所サエモ、コノヨウニ手段ヲ選バズ勝
チ取ラネバナラヌ。憎マレ恐レラレ、追イッメラレル獣ノヨウニ……シカシ、ソレハ恥ズルコ
トデハナイ。聖ナル獣ノ姿ハ、人ニハ知レヌ……ヤツラガ好ムノハ無害ナ家畜ダケダカラダ。
聡美ヨ、我々ハ一ツダ」
「一緒にするな! 大介を返せ! 弟は普通の子だ! 普通に生きて、普通に結婚して、普通
の子を普通に育てる人間なんだ! 指一本触れさせるものか!!」
  辺り一面の火が風に煽られ、あちこちに大きな火柱を育てた。
156
 それは、聡美の血液にではなく、心に反応しているのかもしれない……千穂はそう思った。
室田は身を立て直した。
  そそり立つ巨体からは、もう痛手の気配が消えかけている。数秒と経たぬうちに、必殺の挙
圧から息を吹き返したというのか。
「見ヨ、コノ月ノ力ノ頼モシサヲ。コノ世ニハ、月カラシカ見エヌ真ノ世界ガアル。来イ、闇
ノ世界へ――。オマエノ戻ルべキ場所ハソコダ。弟ヲ闘ッテ取リ戻セ。ソノ闘イハ、ケガラワ
シイ人間ノ世界へノ未練ヲ消シテクレヨウ」
「やかましい! やかましい! やかましい!」
  聡美はヒステリックに叫んで、糸が切れたように倒れた。
  限界だった。
  全ての炎が、灯火の如く一斉に消えた。
  その期をのがさず、室田は樹上へ跳躍していた。
「オマエノ無ニノ友、武内優香ハ、決シテオマエノ気持チナド理解デキヌ。生マレ持ツモノガ
違ウノダ。アノ女ノ光ハ、我等ヲ寄セッケヌモノダッタ……。アノ輝キノ前ニ、悲シイ月光ガ
際立ツノミヨ……。ダガ、ソノ武内優香モーー」
  闇に沈んでいく意識の中へ、室田の言葉が滑り込んでゆく。
  気を失った聡美に代わり、千穂が言った。
「待ちやがれ! どうやってアイツを引っばり込んだ! テメエラ、何者なんだ!?」
157
室田は首だけ回して一瞥をくれた。愚問に対する冷ややかな視線だ。
「我等ハ猿忍軍。貴様モ忍ビノ端クレナラバ、我等ニ敵対スル者ノ末路ハ知ッテIヨウ」
  千穂はその名を聞いて立ちすくんだ。
「やっかいな事になった。伝説の外道猿の一族……まだ生き長らえてやがったのか」
  去っていく室田を追跡する気が萎えていく。強がりにも武者振いなどと呼べない種類の震え
がおこる。
鳥肌の立つ背筋に、冷たい汗が流れてきた。


157           5 


  ほうこう      さ
獣の砲吼を聞いて、夢から醒めた。
聡美はふかふかのべッドの上にいた。
そこが見知らぬ場所だとわかると、慌てて跳ね起きる。
べッドのスプリングと床の滑りがよかったので、勢いあまってつんのめり、よく磨かれたフ
ローリングに両膝と肘を打ち付けた。
その痛みのせいぞ、両腕の真っ白な包帯に気がつく。
158
「オレの隠れ家だよ。安心しろ……今のは近所の猫の声だ」
「千穂……」
千穂は、べッドのすぐ傍の窓辺に椅子をおき、そこに腰かけていた。
本来、満月時の聡美はなかなか寝つけない。そして眠りも非常に浅い。音や気配にあまりに
敏感だから、風の音や虫のさざめきにすら反応して飛び起きることがよくあるのだ。
  これは、数千年前、人が野獣に狩られることを恐れ、闇に潜む者に脅えていた頃の習性だ。
人は手に武器をもって狩りを行うことを覚える以前、恐ろしく長い期間、ただ逃げるだけの獲
物だったのである。
  その頃の人類は、周囲の変化について鋭敏だったという。
犬という友人を得たり、火をともして野獣を遠ざける術を得るまで、人はいつでも強いスト
レスに悩まされ、それは寿命の短さにも少なからず影響を及ぼしていた。
それだけに、以前の人間は現代人が及びもつかない五感の鋭さを持っていたと言われる。
  この時期の聡美は、正にそんな状態に近い。
千穂は、それらのことをほぼ正確に察していた。
「…………なるほど、そういや月経も今がピークみたいだな」
「え」
「火傷の具合を見るついでに、何度かとっかえてやったよ。ナプキンでいいんだよな」
159
「ヤダ……」
  聡美は急に恥ずかしくなって身をすぼめた。
  パンティーの中の感じDEは、聡美が常用するものとは別の製品があてがわれていた。
「そうイヤそうな顔すんな…………こっちだっていろいろ必死だったんだ。おまえの体には何
が起こるか想像もつかねえからな。医者や薬局の薬もあんまり使ったことがねえクチだろうか
ら、火傷の方もオレたちが昔から伝えてきた薬をつかつた。おまえが夢にうなされるたびに、
股間から火イ吹くかってヒヤヒヤだし…………おまえのその火、血や体液に関係があるだろう?」
「ええ、たぶん」
聡美は小さくうなずいた。
「敵が欲しがってるのは、おまえのそんな能カだった…………」
「!」
  千穂は神妙な顔になっていた。
  いつもどこか冷ややかな目許が、言い知れぬ恐怖で強ばっている。
「やっぱり、全てのことは聡美を追いつめるために仕組まれたんだ。ビルのことも、たぶん学
校のことも、おまえ自身を手に入れるために起きたとしか思えねえ。あのビルには、最初から
大層な情報も何もなかったんだ」
「でも、だったら千穂はなんでそこに? 何かを探る仕事だったんじゃ」
            にがむし
千穂は一度目を伏せ、小さな苦虫を噛みつぶすように眉をしかめた。
「俺は、全くみみっちい別件であそこにいた。町の小さな探偵事務所から頼まれた浮気調査だ
160
った。最近のサラリーマンやOLは、コンピュータで連絡取り合うから、忍び込んだってわけ
さ。ところが……噂の空手使いを見つけて、こりゃデカイ儲け話にありついたと思った。だか
ら、アイツが蹴り壊したコンピュータかりフロッピーも確保してきた。でもその中には……。
何も入ってなかった」
「あたし、一人のために……」
「ああ……仲間に調べてもらって、さっき知ったことだが、警備室に盗聴器や隠しカメラが取
り付けられてた。隣りのビルに映像が流れて、そこで監視されてたんだ。もちろん、それはビ
ル全体のことだろうさ」
「な、何が何だか…
« Last Edit: November 19, 2009, 02:29:52 pm by Satoru182 »

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #30 on: November 05, 2009, 06:21:01 pm »
「嘉島グループっていう巨大な財閥さ。あのビルは、嘉島の系列会社に買い取られてた」
  聡美は、その名に聞き覚えがなかった。
「初めて耳にする名ね」
「そう、なかなか表舞台に出やがらなかった謎めいた連中さ。謝華グループと反目し合ってい
るらしいぜ。VGに対抗するような大会を始めて、何をたくらんでいるのか……」
161
「久保田潤の言ってた鬼王会のバックね! でも、その嘉島が何故あたしを?こんな貧乏人
がちょっと手から火を出すくらいで」
  千穂の答えは早かった。彼女にとってその構図は、さして難解なものではなかった。
「軍事利用か、あるいはあの室田のように配下にしたいのさ。嘉島は謝華に並ぶ『死の商人』
の顔を持つ。世界の戦争を操り、そこで消費される兵器を開発供給する。この世で決して需要
の無くならない巨大ビジネスだ。あのVG大会だって――単なる格闘技大会じゃないって噂だ
ぜ」
「?」
「ウエイトレス好きの男たちが美女に熱中する裏で、謝華は人間の秘めたる能カを開発するた
めのデータを集めてる――ってね。あそこには、魔法使いみたいな連中が集まってる。でも――
そんな連中の中にさえ、八島聡美に類似する能カ者は、まだ一人としていない」
「!」
「それくらい、あんたのその力は特殊だ。だからこそ、『死の商人』共はいろめきたった」
  ずん――と、胸を強打された。
  天文学的賞金と栄誉のため、各企業が競って情報網を世界に伸ばして探し出した者たち。人
類史をひっくり返すほどのスーパーガールたち。
  そんなVG戦士の中にすら、自分はあてはまらない。
  その重すぎる事実を突き付けられていた。
162
  ぐっと、聡美は息を詰めた。
  這いつくばって床を叩きたい気分になる。
  この力のせいで大介が連れ去られたのだとしたら。呪い打ちのめすべきはやはり、この肉体
に他ならない。
「大介は、まさか生体実験だとか、何かひどい目に!!」
「おちつけ!…………大丈夫だ。おまえを引き込んだり、調べるのに協力が必要だとすれば、
弟の身は今のところ切札だ。今は、血液検査やCTスキャン程度さ。それより、こいつに見覚
えあるかい?」
  と、千穂は部屋の中央に置かれた小さなテーブルをさした。
  一人分のブレックファーストを並べたら一杯になりそうな、木製の小さなテーブルだ。その
上に空っぼの鳥かごがあった。
  いや、鳥が入っていないだけで、そこにはちゃんと捕われの者がいた。
  一本の指だった。
真っ黒い毛虫のようだが、まちがいなくそれはふしくれ立った哺乳類の指であった。
  分厚くて不気味な歪みをもつ爪だ。それはまだ、わずかにモジモジとくねっていた。それで、
一瞬昆虫と見まがったのだ。
  聡美は吐き気をもよおしつつも、鳥かごに寄ってのぞき込んだ。
「夕べの、あの獣人のだぜ。斬り合ったとき、一本スッ飛ばしてやった。よく検分しろ………」
163
その爪は、黄色っぼい中に黒い縦の模様が入っていた。
千穂が厚手の医学書を開いた。べッドの横のサイドボードから拾いあげたものだ。乱雑に積
み重ねられているのはありきたりなファッション雑誌や、流行っているタレント本程度で、案
外ミーハーなことがわかる。
  しかし、その上に数冊、奇妙な題名の書物がある。
錬金術、魔術、そして医学、様々だ。
「あんたの所の校長の本棚からパクッてきた。これによると、この爪はポルフィリン症っての
に似てる。この黒い縦線がな…………それと、多毛症ってやつもこのポルフィリンによってお
きるらしいぜ」
「なんなの、それ」
「ポルフィリンて物質は、その代謝異常によっては、人体の皮膚下に蓄積され、それが触媒と
なって活性酸素を多量発生し、細胞を破壊する。そのせいで、肌がびらんしたり、ひどい例で
は指とか鼻を欠損する。多毛症ってのもその細胞破壊で起こるんだそうだ。日光照射で、それ
は活発になる…………奇病の中に、日の光に当たれないってやつがあるが、これがポルフィリ
ン代謝異常の原因だ…………大昔はそんな気の毒な人間が狼男だ魔女だといわれて追われたん
だろうな。日に当たれば二目と見られんボロボロの様相だし、夜しかまともに外で活動もでき
ないから、文字通り日陰者扱いだったろう。中には月の光でさえ光毒症を起こす者もいるらし
い…………月も太陽の光を反射して光るんだから」
164
「でも、室田は昼間は普通に…………」
「あるいは、まだ人類が未発見でいる種の特異な症状の人間だ。なにせ奴らは、自ら"猿忍軍"
と名乗った。闇とされつづけた忍びの歴史の中にあって、我々の間ですら謎とされた一味…………
明治になって全国民に戸籍が義務づけられる前に、海外へ渡ったなんて未確認情報もあるが、
もとより正体不明だからわからない。だが、あれは実在した。満月の夜に人智をこえた魔者に
なる人間…………俗にいう人狼。ま、猿だけどね」
「人狼、ね…………」
  ぽつりと、聡美はつぶやいた.
  冷たい汗が、額から顎を滑りおちる。背中の方も同様にぬれそぼっていた。
「…………おまえがそうだとは言ってない。そんな症状もない。しかし、あの猿女が何かの同
一項を見い出してるのは確かだね。おまえを、闇に生きる仲間として迎えたがってる」
  聡美がうつろな目で、また一言いった。
「あたし、ああなっちゃうのかな。いつか、室田と同じに…………」
「気を確かにもつことだ。あんたの血縁に、そんな病歴はない。そんな弱気は、あっちの思う
ッボだ」
『…………』
「まあ、とにかく。オレが言いたいのは、あんたはずっと見張られてた可能性がある。室田と
その一味が、この街に転入したときからだ。それに、やつらと敵対する一団もまぎれ込んでる。
165
たぶん、常に互いの動静を探り合ってる嘉島と謝華、両万があんたを取り*51*んでて誰がどっち
かわからない。優香がどちらに加えられているのか、問題はそこだ…………」
優香がこの街に来た頃、時を同じくして室田の手下の数名がこの街へ転入してきていた。同
じ中学へ、あるいは近隣校へ。そして、聡美がこの学園へ入ってすぐ後、室田本人が移ってき
た。むろん、他の者も申し合わせたように、正規の試験で入学を果たしている。
  数年、あるいは世代をこえた家族単位で、その土地に根を下ろして来たるべき時を待つ。
  そんな遠大な作業が忍びの世界では不思議ではない。
力なくうなだれた聡美をはげます言葉は、千穂にはなかった。それどころか、まだまだ言う
べきことはあった。
「他にも妙な人間は多勢いる……たとえば、あんたに放火の罪を着せようとして自殺した田中
も不審だ。知らなかったろうが、転校をくりかえすあんたと、三度も同じ学校になったことが
ある。道場の中にもいるぜ。この本の持ち主の校長もその内の一人だと思う」
  聡美はもう、誰一人心の頼りが無くなっていた。
  記憶をどこまで辿っても、思い出せる人々の顔がみんな疑わしかった。
  千穂の懐の携帯電話が鳴った。
  手早く会話をすませ、仲間からの連絡を聡美に伝える時、千穂は少なからずためらった。ダ
ウンした相手の顔を踏みつけ、唾を吐くような気持ちになったからだ。
「今さっき、敵さんの使者が案内状をあんたの家に置いていった。それから、優香だが………
166
昨夜のうちに道場を飛び出して、行方知れずだそうだ」
  思った通り、聡美はへなへなと膝をついた。

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #31 on: November 16, 2009, 10:16:43 pm »
167
                業火
              ――――――
             Hellfire
                第3章

168
                 1

広大な邸宅だった。
  建物や敷地の豪華さだけではなく、どんな角度から見ても隙のない美しさがあり、思慮深く
配慮された気品が漂っている。
  幾何学的なフォルムに刈り込まれた緑の植え込みには、いったいどんな意味があるのか。手
                          あか
を入れた者に根ほり葉ほり聞きたくなるのは、下界の者の証しだろうか。
「あれは何なの、ねえレイミ?」
  子供みたいに聞くのは全身包帯と石膏でかためた武内優香だった。
「ただのイギリス風のガーデニングよ」
  答えを返したのは、趣味のよい時代物のチエアに腰かけた美女である。
  青味がかったプラチナブロンドが、ダージリンティのカップを片手に振り返る。
  揺れる髪の中から、きらきら光る香ばしい何かの粒子が飛びちったような気がした。それら
は、一瞬彼女の背後に蓄薇の花束を飾ったように煌めき、すぐに風に流れていく。
  女神の神々しさと、実に人間らしい高慢さを併せ持つ容姿だった。
169 ILLUST(DELICIUOS REIMI ON CHAIR =)
http://img18.imageshack.us/img18/8623/vgncarrot169.jpg
Variable Geo light Novel scans

170                                                                                   いたけだか
  この屋敷の上品さに一点の曇りを見つけ出すとしたら、この持ち主の威丈高さにあるかもし
れなかった。
  絶世の美女、謝花レィミは、時と人とを選ばず高飛車であった。
「へえ、初めて見るよ、ボク。建物はバッキンガム宮殿みたいだしさ」
「フフ、あのような悪趣味と一緒になさらないで。倍以上の価値がありますの」
「ふーん、千代田区のこんなとこにこんなのがあったんだ?」
  そこは、学生街や古本屋街で有名な街の一角にあった。
  名のある作家が缶詰めになって執筆することでも有名な高級ホテルからもほど近く、この一
帯では一番の高台を占有している。
  そんな所にありながら、巧妙にその絶景と眺めを人々の死角に置く造りだ。
  人知れず都内に存在する、雑踏にまぎれた別天地である。早朝の静けさのせいもあり、閑静
な避暑地としか思えなかった。
  二人のいるべランダの広さだけで、優香が住む2DK並みの面積があった。
「それより、傷はもういいのかしら。肋骨の骨折二本、右肩の亜脱臼…………その他諸々。夕
べは多忙の身を休めに帰国したばかりだったのに、突然の来訪…………その上、VG用のハン
ミラの制服でなんて。あんな姿で毎日外出なさるのかしら」
  言葉に突き刺すような険が含まれているのはいつものことだが、今日のは少し違った。
  見る者が見れば女の嫉妬のようなものとわかるのだが、優香にはそれが通じていなかった。
171
「ゴメンね。あの人、彼氏だった?邪魔しちゃったかな、ボク?」
「ちがいます。――ただの秘書ですわ」
「あ、そう」
  レイミはきっぱりと言い切るが、実のところ正にそれで怒っていた。
  密かに思いをつのらせていた秘書と、何とかして二人の時間をつくろうと捻出した暇日を台
無しにされたのだ。
  おまけに、VG用に動きやすく改造されたハンナミラーズの衣装は、日常生活の中に放り出
              いんわい
すと、かなり淫猥だった。優香の健康美に**溢**れたボディをみっちりと引き締めて、見事な女体
を公のものとする。
  優香はその姿でやってくるなり意中の秘書に抱きつき、失神したのだ。
  レィミは、その男が自分以外の女にわずかでも関心をよせるのが許せなかったし、そんな例
も初めてだった。
「そうだよね。謝華財閥の総帥が、あんな頼りなさそうな男の子とじゃね…………それになん
たってVG二連覇のレイミじゃ、なんか反対にガードしてやんなきゃ…………」
「まあ………あの秘書はあれで意外とキレ者ですのよ。武道の方だって、その辺のゴロツキの
二、三人は問題にならないし、第一わが謝華の家訓では――『男は養うもの』と…………」
「?」
                         せき
  レイミは小さな慣りの脈絡のなさを自分で痛感し、咳払い一つで打ち切った。
172
  そして高貴にして冷静な態度を立て直した。
                      のんき
「あなた………呑気に庭を眺めてる場合じゃないでしょ。のびてる間に事の成り行きを調査
させました。ただ事ではないようなのでね」
「…………そう、今から頼み事しようと思ってたんだけど」
「八島聡美…………あなたの無ニの親友とやらの弟君の居場所…………ね。それもすぐにわか
るはずよ。誘拐犯の手の者が、少し前に八島家に入って、おそらくは聡美さんと取り引きする
ための接触行動をしたそうだから、私の配下が追跡しています。別の線からも、おそらく主謀
者の洗い出しは成功するでしょう」
「そうか…………やっぱり持つべき者は、友達だね。ありがとう」
  レィミが、後ろからこづかれたような反応で振り向いた。
  やはり、いきなり理由もなく叩かれたような表情だった。
「優香…………友達ってあなた、いつからよ」
「えっ…………一年前だっけ?VGで会ってからでしょ。それがどうしたの」
「訊問者は私よ。私の質問について万人がすみやかに納得のいく返答をしなければいけないの
よ。あなたは質問に答えてないわ」
「へ?」
  二人の言葉は、全く噛み合う気配がない。同じ方向へ小首をかしげて見つめ合っている。
  焦れてレイミが切り出した。
173
「あなたとは一度戦い、そして私が倒した」
「いやあ、不覚だったよ。でもいい試合だったよね」
「私は久保田潤との戦いで負傷し、疲れていた。そのための接戦でしたわ」
                                        あやの
「ボクの方も組み合わせきつかったナ。エリナGスミスは世界一タフなケンカ屋だったし、綾
こうじ
小路さんのリズム感にはもうちょっとのとこでKO寸前だった。おまけにあのマナミちゃんも
スタイルつかめなくって…………」
「そんなことはどうでもいいわ。つまるところ、あなたとわたしはどれほど言葉をかわし友情
を語り合ったというの」
「えっ…………あんまし喋ってなかった?」
「ええ。二、三回よ」
「アハハ、そんなことないさ。もっと前から知ってた気がするくらいだ。あそこで会った娘た
ちはみんな…………聡美の次くらいによく知ってるってカンジ?」
「カンジ?って、奇異な箇所で変な疑問符はよくない風潮ですわ」
  平行線を辿る会話だったが、それも優香の一言でけりがついた。
「もう全然他人じゃないサ。この拳で本気でやりあった分だけ、その人と深くつながったんだ
から」
「あ…………う」
  レイミは思わず椅子から滑りおちそうになるのをこらえた。これくらい真っ向から堂々と言
174
われると、本当に赤面ものだった。
  意中の秘書から告白されたって、こんなにドギマギするかどうか疑問だと思った。
「ああ…………もうくだらない話はここまでですわ。集めた情報からすると、聡美さんは誰か
あなたによく似た人、あるいは変装した人間をあなたと思ってる。誘拐も、その前からの彼女
の身に起きた出来事も邪推してる…………」
「うん――でも、本当は聡美はそんな風に人を疑うコじゃないんだ。真っ直で折り目正しくて、
自分の負担になるくらい正直で…………」
  レイミがあきれたように溜息をつく。
「そういう実直な庶民は、あなたが思う以上に疑り深いのよ。その小さなプライドや生活基盤
など吹けば飛ぶようなもの…………彼らはそれらを大事に守るために実直な面を強調して世間
                                                                                                              うつわ
と接する。思いのまま行動すれば、小市民は小市民としては生きられず、また大人物になる器
がないのでそうするしかない。そういう存在は、いつ隣の誰かが大胆な行動をとるかもしれな
いと周囲を気にし、疑っているものよ。ライオンはサバンナで平気で居眠りをするけど、小動
物は小さな物音にも敏感でしょ」
「レイミ!」
「今回のことは、彼女がいつも持ってるあなたや周囲への気持ちが最大限に発揮されたにすぎ
ないわ。誰か、操作した者がいるにしてもね」
「レイミ、いくらあんたでも許さないゾ! 立ちなよ!」
175            しが
  負傷した優香など、レイミは歯牙にもかけていない。ゆったりとチェアにふんぞりかえって
冷笑する。
  今しがた赤面させられたことへの、ちょっとした腹いせでもあった。
「人と人とが心で結ばれるなんて、その多くが錯覚よ。つごうよく相手のイメージをつくり、
信用できると思いこまなければ、弱い個人の群れは互いに食い合い亡びていく。世の中の見せ
かけの平和はそれで成り立ってるの。だからこそ法律という決め事が設けられた…………人々
が信頼し合えないことの証明よ」
「クソッ…………殴ってやる!」
  優香はパンチを空振りして一度倒れ、震えながら立とうとしている。
  今にも涙があふれそうだ。頬は紅潮し、心底怒っているとわかる。
                                        さいぎ
「たった一晩で知った八島聡美の生い立ちからも、彼女が本来誰一人信用できないくらい猜疑
心にあふれていることがわかるわ。少しは知ってるでしょう。彼女の歩いた人生の重みを」
                         ま とう
「ああ、だからこそボクは信じる。あんな目にあっても真っ当に大ちゃんを育て、あたしと互
角の空手を磨いた! 誰かを恨むとか、憎むやつにあんな空手は出来ないんだ! 聡美の拳に、
嘘はなかった――――」
  優香は、ほとんど倒れ込むようにして右の拳を放った。
  弾けた涙が自らの正拳を濡らす。
  レィミはそれを掌で受けた。
176
微動だにせず、優香の拳と雫をキャッチしていた。
「なるほど…………あなたの拳に嘘がないことはわかりました。でも、この謝華レイミの中に
も…………1ミクロンほどの偽りもないと認めてほしいわ」
「…………」
「なにしろ私は、いつも高貴にして大胆な最強の淑女、下界の者たちの法律とも無縁…………
つまり、嘘などつく必要は何一つないの。こんな風にね――」
今度はレイミが攻撃を加えた。
座っていたチェアが空席になり、そこにあった魅惑の肢体は目にもとまらぬ早さで優香の右
へ移動していた。
そして、強烈な右バックブローが見舞われた。優香は、右手でそれをブロックした。
手加減はないが、無傷の右で捌けるようにレィミは配慮していた。
「どうです?」
「ああ…………嘘は、ない」
  レイミはいつものように高い位置からものを言う。
「ニーチェも言ってるわ。『強者は嘘をつかない』って。知らないでしょうが、大嘘つきだった
織田信長は、信玄が死んだ頃から自信満々で言ったことを本当に成し遂げていったの。その点、
私は生まれたときから一番強いから、ウソなんてもののつき方を知らないの」
「ウソはないけど、高慢チキなパンチだよ、レイミのは」
二人はやっと本心から笑顔を向き合わせた。
« Last Edit: November 19, 2009, 02:23:21 pm by Satoru182 »

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #32 on: November 16, 2009, 10:18:31 pm »
177             2


数時間の後、レィミの擁する諜報機関は誘拐犯たちの拠点をつきとめた。
  レイミの秘書の運転するリムジンは、その場所へ向けて移動中だった。
  彼等の目的が何なのか、また優香にそっくりな女とはいったい何者か、全てがわかったわけ
         さくそう         かげろう
ではない。しかし、錯綜する情報の裏に隠された陽炎より不確かな操り糸を、レイミは直感め
                     ぎゅうじ
いたもので感じとっていた。それは世界を裏から牛耳る謝華家総帥の身だからこそわかり得る
ものだった。
  レイミは、己に仇なす者たちを把握していた。
  世界状勢の99%までを熟知し、その半ば以上を意のままに動かせるはずのレイミですら、覗
き見ることすらかなわぬ世界が、まだ1%だけある。
  もしかすると、自分は、その1%を掌握する者に踊らされているのではないかと思うことが
ある。自分が動かす組織の絶大な権カをわきまえた上で、実はその上にさらなる上層機関があ
り、自分も含めて知らぬうちに操られているのではないかと。
178
  レイミには、聡美や優香とは別の次元で、そんな恐怖や疑念を持つ自分を知っていた。
  そして、そんな存在がいるなら、それは自分の母、謝華ミランダ以外にはいない。
「優香…………あなた、久保田潤から何か聞いているのではなくて。以前、彼女の付き合って
た男性がさらわれたことがあったわね」
「うん……一人で行ってブッ飛ばしたって言ってた」
  レイミは、その黒幕がミランダであったことを知っている。
  それは、久保田潤の発揮する力、その技の根源を探るための罠だった。久保田潤の『アース
シェイカー』という決め技は、まさに大地の力という表現でしか形容できぬ類のものだ。
  この地球を一個の生命体と仮定するガイア理論という学説がある。
  あれは、まさにそのガイアの持つ生命力が、潤の体と技を媒介として放出されているとしか
考えられない。
  まともに喰らえば、レイミ自身一気に吹きとばされて即KOかもしれない。
  母ミランダは、その秘密を解くべく潤をおびき出したのである。その際、レイミの知らぬ生
体研究機関の存在を知ることになった。それらの正確な数と所在の全ては、未だ謎である。た
だ、そのプロジエクトは、レイミが生まれる以前から推進されていたことがわかった。
  レイミ自身が進める日本でのバイオ化学事業や、それらの研究を発展させるための新たな科
学都市建造構想とは、全く別のものが二十年以上前からあったのだ。
  おそらくは、レイミの統治する機関からの研究成果もミランダは吸い上げていたに違いない。
179
  そして、自分が女王として君臨するVGもまた、ミランダの思惑の内なのかもしれなかった。
  思えば、あれはレイミを焚きつけ挑発するような母の言動に対し、地上最強は自分であると
証明するためにこの手で設けた舞台であった。
  母は、そこに集まる超人たちを、生けるサンプルとでも考えていた節がある。
「そう、潤は何も…………。でもね、聡美という娘が本当に種も仕かけもなく体から火を発す
るなら、その力を利用しようと考える者がいることは想像できるわ」
「炎は本当だよ。ボクが保証する」
  レイミは言葉を選びながら、必要な情報を優香に伝えた。
「今年のVGの応募者の中に、八島聡美の名がある――これは知ってるかしら」
「ああ…………実は本人に内緒でボクが申し込み書を出したの。まだ聡美に言ってないんだけ
ど、聡美を空手道に引き戻したくって…………」
「そう」
「それに、聡美の強さは本物だ。本気の本気を、まだボクだって見てないんじゃないかな。き
っと、レイミだって危ないよ。炎なんかなくても強いんだ」
「フフ、今は異論をはさむつもりはないわ。それはいずれ明らかになるから。…………それよ
り、このVG申し込みが事件のきっかけかもね。ある種の人間にとって、VG参加者は注目の
的だし、計り知れない価値があるのよ」
  優香の顔色がみるみる青ざめてゆく。
180
「ボクのせい…………ボクが余計なことしたから。クソッ―I何が何でもボクの手で大ちゃん
を取り戻さないと!」
  レイミはその横顔を見ながら、こっちを向いてくれるなと思った。
          てつめんぴ
  何故なら、自分の鉄面皮に今は自信がもてなかった。今一度拳をかわしたなら、いろんな隠
し事が悟られてしまいそうだった。
  そして、そんな自分にすらいとも簡単に背かれている武内優香という娘が、何とも可愛らし
く思え、同時に哀れだった。
"この子は、どうしてこんな風に育つことができたのかしら……"
  レイミはそう思った。
「……だけど、こうなることはずっと前から決まっていたのかもしれないわ。聡美さんが、武
内優香という人間の運命と関わった時からね……」
「えっ、どういうこと?]
「あなたはもう十年以上、何者かに監視されていたのよ。入れかわり立ちかわり、あなたの通
う幼稚園から高校まで。常に同級生や同窓生として何人もの監視者がいたでしょうね。それは
教師の中にもいたでしょう」
「えーーー????」
                        きゅうてき
  それが謝華グループの血縁でありながら、長年の仇敵である嘉島グループであるかもしれな
いことを告げる。だが、同時に母の配下、つまり謝華の人間もそうしていたことは伏せた。
181
優香は豆鉄砲をくらったように動きを止めたままである。
          しゅつじ
(知らないのね。自分の出自も、背負うものの重みも…………)
  レイミはそれを読みとった。
「…………どうして?」
  優香の口からはそんなものしか出てこない。
  優香は、両親と赤ン坊の頃に死に別れたと思っていた。
  祖父は、幼い頃から優香を厳しく育てた。どんなに泣いても修業を休ませてくれず、いつか
その力で自分の道を切り開き、自分の愛する人たちを守らなければならない日が来ると言われ
てきた。
  遠い昔の話だ。
優香が武道を好きになり、自らの強さを求めるようになってからは、何一つ面倒なことは言
われなかった。山奥の分校時代も、こちらへ来てからも、いつでも良い友人に恵まれ、何の疑
問もなく元気なスポーツ少女として生きてきたつもりだ。
自分の人生に、そんな途方もない影がよりそっているなどと感じたこともなかった。
「さあ…………わたしにもそこまではわからないわ」
  レイミはつい数時間前、優香本人すら知らぬ過去を知った。
彼女が手当をうけ、眠りについている間のことだ。
優香の両親は優秀な科学者であった。
182
  マサチューセッツ工科大学で父と母は出逢い、その後、別々の大学に学籍を移しながらも愛
 はぐく
を育み、二人はまた同じ科学研究施設に勤めることになった。その頃に結婚している。
  その施設は、謝華ミランダが起こしたものだということがわかっている。
                    こつぜん
  そして、数年後、二人は周囲との交渉を忽然と断ち、姿を消すことになる。
  レイミのつかんだ情報では、行き先は北方領土にある医学研究施設である。
優香の年齢を逆算すると、優香はそこで生まれ、短い時期だろうが両親と一緒の時間を過ご
したはずだった。
  おそらくは、二歳までだろう。
優香は、二歳の誕生日の少し後、水難事故にあっている。その記憶は幼いために残らなかっ
たのか、あるいはショックによる欠落が考えられる。
  国後から北海道の小さな港町へ向かった連絡船が難破し、数名死者が出たという記録がある。
その時に優香は奇跡的に生き残り海岸にうち上げられた。
  地元の新聞がたった一紙小さなべタ記事をのせているが、優香の名はない。父母の名もない。
  何者かの圧力によって隠ぺい工作が行われたのだ。
  それを知りえたのは、その強権発動をしたのが謝華財閥であり、母ミランダだったからであ
る。先日までは、秘密機関の一つが国後にあり、そこで何かのトラブルと脱走者が出たという
情報でしかなかった。それは、久保田潤の一件の後、レイミが調査したものだったが、今回、
優香の身辺調査をして得た情報と合致して、初めて明らかにされたことだった。
183
(優香がVGに臨み、こうして今、ミランダの娘………私と共にいるのは運命か、それとも…………)
それは、優香を強く育てた祖父の意図であったかもしれない。
          かたき
  いつの日か両親の敵の存在を明かし、それを討てるだけの力を持つようにと。
だが、優香はまだ何も知らされていない。
それなのに、導かれるようにVGに出場し、一度は敵の娘と拳をまじえたのだ。
  レイミ自身、知りたくはない真相であった。
                      かれら
「原因はわからないけれど、あなたは長年の間、彼等の包囲網の中にあった。あなたの操る"気"
や、お爺様の伝承する河内山流気道を知りたかったのかもしれない。事実、お爺様の教えた弟
子の中にも、身元不明者がいる…………」
しかし、それらの者は数日の内に見抜かれ、優香の祖父に打ち負かされて逃走していた。
優香がそんなことを知らされていないのは、ひまわりのように太陽を浴びる無垢な心を曇ら
せぬためだったろうか。
                              しの
明日こそはと考えつつ、それを言いそびれた気持ちが、レイミには偲ばれる気がした。
「あなたを監視するうち、彼等はあなたの友人の中にとても魅力的な能力を持つ人物を発見し
たのかもしれない。それが」
「聡美か」
「VGで、あの能カが公のものとなる前に、彼女を何らかの形で手に入れようと考えた。弱み
を握って配下におくのか、あるいはその能カを分析して我が物とするか、その両方かも」
184
「嘉島グループか…………必ず叩きつぶしてやる。ボクの拳で」
決然と意気を高める優香に、レイミの引け目はどんどん拡大していく。自分でもわかるくら
い心臓が高鳴っているし、手に汗がにじむ。初めての経験だった。
なるほど、小市民はいつもこんな気分で生きているのかと、レイミは思った。
「嘉島かどうかもはっきりしないわ。他の者だって、彼女の能カは欲しいはずよ。あの娘の技
は、およそこの地上に生きる人間、いや生物全ての中で唯一のものでしょうから。有史以来、
いいえ…………この地球が生まれて以来、あらゆる生物が持ち得なかったものよ」
「そんなに、凄いんだ」
「どんな形態を持つ生物も、その体から火は生み出さない。むしろ、恐れ、嫌うものよ。――
人間のみが火を使うことを覚え、地上の支配者となったけれど、それでもまだ、権力を与えて
くれた火を使いこなしているのではなく、やはり依然として制御しきれていない。火事は常に
人を脅やかし、生命を危険にさらす。そして自らつくり出した巨大すぎる原子の火をもてあま
している。我々人類は、火を克服できていないわ。原始の時代、神話のつくられた頃から、こ
の点については少しの進歩もない。科学は火に油をそそいで大きく強くしたけれど、数千年来
変化しないこの身体は、生身のまま火に触れることすら許されていない…………」
  レイミは、これだけはどうしても優香に提言しなければならなかった。
それは、聡美の過去の出来事と優香の話から導き出した恐るべき推理である。
「いいこと………あなたが本気で彼女を友と認めるなら、何としても彼女を敵と戦わせないこ
185
と。今、彼女も弟の救出に向かっている。彼女がやつらとやりあう前に、あなたが戦って倒す
しかない。疑いをはらすためにも、そして彼女を死なせないためにも」
「死ぬ………相手は、それほど強いの?」
「ええ、だけどあなたが認める強さを持つなら、負けないかもしれない。ただ………相手はお
そらく、彼女の能力のMAXを知るために策を幾重にも用意するでしょう。そうして全ての力
を解放した時………彼女は最も恐ろしい地獄に落ちる」
「何よそれ、どういう事………」
「資料があるわ」
  レイミはアタッシュケースをあけ、ぎっしりつまった書類をとり出した。聡美についてのあ
らゆるデータと、難解な化学記号で埋めつくされていた。
  その後に続くレイミの声は、優香を戦慄の渦に投げ込んだ。
「それに目を通しながら聞いて。まずはそうね、太古の昔から始めましょう……さっきも言っ
た通り、人間の進化は火と共にあったの――」
  人類は、火を手にした時、地上で最も高い環境適応力を持った。
  正確には、生物としての機能的向上ではなく、自然環境を捻じ伏せて生きていける術を持っ
たのだ。火を使って食物を調理することで、摂取できる栄養は飛躍的に増え、食品のレパート
リーも多くなつた。
  火で暖をとり、本来は生きられない寒冷地へ足跡をのばし、定住する者も現れた。
186
  そして、家畜や自分から野生動物を遠ざける役目も火が果たすことを知り、人はその縄張り
を拡大することになった。
  心理学では、極寒の密室において小さなロウソクの火を見つめることで、人は安らぎを感じ
るという実験結果がある。
  電灯が生まれるつい最近まで、人々は焚き火などで寒さと暗闇を乗りきってきた。
  その記憶が、ロウソクの小さな火で安らぐことにつながっているという。
  また、放火犯(ピロマニア)などの存在をさして、火が性に直結する快楽であると説く者も
いる。
  火が性とのみつながるものとは断定できなくとも、古来、火によって与えられた安息のもと
でのみ、人は外敵を恐れず生殖行為にひたれる時代があったということも事実である。
  火によって安心を得る代わりに、不必要となった鋭敏すぎる感覚を退化させたことは、言う
に及ばぬ当然の結果だ。
  聴覚、視覚、嗅覚、触覚………さまざまな動物的感覚を弱めたのだ。
そしてそれが、人間的な進化を高めることにつながった。人間の身体のそういった機能の鋭
                       かくせい
敏さは、交感神経優位の状態である。緊張度と体の覚醒のレべルは、体内を駆ける大量のアド
レナリンのために我々現代人よりずっと高く、それによりストレスは大きくなり、心身の消耗
度合も大きかった。それが短命であった原因の一つでもある。
  その頃の人間たちは不安と勇気と高揚感の塊りといっていい。
187
古代人は、そうでなければ生きられなか**ョたのだ。
緊急の際、瞳孔が全開して外界からの情報を多くしようとする反応は、哺乳類全体の共通の
症状である。
  環境変化に対処するためのサバイバル機能だ。
  この状態は闘争(攻撃)、そして逃走に必要不可欠のものである。
  しかし、同じ状態の人間が現代にタイムスリップして医師の診断をうけたなら、おそらく覚
醒剤常用者か精神病と誤診されるかもしれない。
  これは覚醒剤のもたらす血圧上昇、心拍数増大、血糖値のアップと同じ症状であり、言い替
えれば、現代の異常者は先祖返りに近い存在といえる。
  五感に厚いフィルターをかけ、情報量を少なくすることで、我々は平穏な日常を手にしてい
る。それが崩れた時、人は狂ったと言われるのだ。
  多すぎる情報を正確に処理する能力をすっかり忘れてしまった現代人は、オーバーヒートす
るように妄想や認知障害におちいる。
ジャンキーがありもしないものを見て暴発し、暴力犯罪に走るのは、このせいだ。
  無意味な原始的闘争のみがそこに生まれるから、彼らは常人離れした怪力を発揮したり、見
えないものに脅えたりする。
  そんな例外をのぞけば、現代人は火によってこそ、今の人類たりえる精神世界を構築できた
といっても過言ではない。
188
だから、世界中に火の信仰がある。太陽神もその一つといえる。
火は快楽であり、同時に人が決して乗りこえられぬ戒だった。
  世界各地の火祭りに人は酔う。
  なぜかわからぬ高揚と、死をイメージさせる暴力の気配に魅入られる。
人類史を辿る遠大な前置きの最後に、レイミがさらに謎をかけるように言った。
「ギリシャ神話のプロメテウス伝承、そして日本では万物の生み主イザナミノミコトね。イザ
ナミは、火の神を生んだことによって焼け死んだ………神話に読みとれるように、人は今も昔
も火を得たことに原罪めいたトラウマを持っているの」
「ボクには話が大きすぎる………それが聡美とどう関係すんの」
優香は興奮と恐れで汗にまみれながら、先をせがんだ。
  レイミの秘書が、これまで聡美の転居先や転校先での資料をさし示し、それを見せた。
「つ………つまりですね。八島さんも、プロメテウスやイザナミノミコトに象徴される、強い
罪の意識にさいなまれていることが明白なわけで………」
「何故よ、聡美が何したって言うの!? そんなわけないでしょ! 罪悪感なんて一コだって持
つ必要ないでしょ、コノ~~~」
  優香は後部座席から、秘書の細い首にチョークスリーパーをかけた。
「しっ、しかし、事件の度に………彼女は心ない大人たちや残酷な子供たちに、鬼だ魔女だと
ののしられていった。幼な心に、それは**O**きなストレスだったはずで………」
189
優香は、ストンと脱力して座席に落ちた。
「そんな………そんなヒドイこと。あたしに一言も。それじゃ、今のガッコウの連中と同じだ。
そんな目にずっと………」
「親友だからこそ、言いづらいこともあるんでしょうよ。あなたたち弱者の世界には」
  レイミの慰めとも罵倒ともつかぬ台詞が、唯一優香の救いだった。
「優香ーー聡美さんはね、遠縁の者たちに、何度かひどい虐待をうけているわ。多感な感受性
をもつ思春期に強いストレスを受けた者は、不思議な怪現象をひきおこす例がある。オカルト
は私の関知外だけど、ポルターガイストなんてのはその一つともいうわ」
「あの、机やタンスがグルグル飛びまわるアレ!?」
「そう……そういった超能力は、頭部にひどい打撃を受けてから現われる例もある。聡美さん
も、幼い時に交通事故にあっている。もちろん、先天的かもしれないけれど」
「だけど火は……そのポルターガイストの中にふくまれるの?」
  レイミは首を横にふった。
「いいえ――たぶん彼女のそれは強い静電気を放つ形で現われているわ」
「そういえば……帯電体質だって言ってた。満月が近くなると力が高まるって。スパークして、
血が燃えるのはきまって満月だって……」
「月の引力で潮の満ち引きがあるように――月によって体調の変化を感じる人々がいるわ。バ
イオタイド理論といって、それに左右されて行動する動物は、自然界に多いの。彼女の体内で
190
何がおこっているかわからないけど――危険よ。満月の夜には大事故や凶悪事件が増えるとも
いう。追いつめられた彼女の炎が、いつか暴走する日が来るかも……」
「……」
「そう、イザナミの生んだ火のようにね」
押し黙る優香に向けて、聡美の発火についてのメカニズムにおける推察を秘書がつけ加えて
ゆくが、まるで優香の頭には入っていかなかった。
  聡美の強カな武器と思っていた炎が、その身を灰に変える両刀の剣であるかもしれないとい
う、その事だけが重く残った。

Satoru182

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #33 on: November 16, 2009, 10:20:53 pm »
                3


  そこは、広大な山林を開拓して出来た空間だつた。
  険しい山肌を背に、とてつもなく巨大なドームがある。
  高さは東京ドームの二倍以上、面積も二・五倍ほどはあろうという代物だ。
  その姿が民家から全く見えないことから表立った住民運動もなく、数年前に一時マスコミを
賑わせて、すっかり忘れさられたものである。
191
それが嘉島ゲループの支配下にあることなど世間は知らない。
  二人は、充分に用心しながらその建物に近付いた。
高さ10mはあろう鋼鉄のゲートが開放されている。
  その外観から、おそらく中には十万人以上を収める観客席があるだろうと思わせるが、中は
       がらんどう
巨大な伽藍堂であった。
  ゲートの光源だけでは、その奥までは到底覗けない暗闇が広がっている。
  見渡せるのは、ほんの十数m先までだ。
「誰かいる……人が歩いてくるわ。どうやら傷を負っているようね」
「アレ……千穂だ。増田千穂だよ!」
             くさりかたびら
忍者装束のあちこちが破け,中の鎖帷子が露出していた。帷子の網目の奥には、生々しい流
血があった。
「刃物ではなく、素手でやられたわね」
  レイミは冷静に見抜き、そして総毛立っていた。
  千穂のその姿は、VGの時とは別の、それこそあらゆる事態を想定した完全武装だ。忍者装
束の布地は耐刃能カに優れ、鎖帷子は特殊合金であろうが、敵はそれらをものともしなかった
のだ。千穂の鎖帷子には無数のへこみがある。それらは、人間の拳で叩かれたものに見えた。
  いかにレイミといえど、その敵は驚異である。
「千穂ッ!」
192
  駆けよる優香に、黒い殺意が飛来した。
  光り止めを施して光沢を抑えた苦内――千穂がそれを投げたのである。
  薄暗がりからの苦内の一投は、明確な殺意の表現だった。
  優香だからこそ両掌による真剣白刃取りが可能であったが、それも今が日中でなければどう
だったか。
「千穂……」
「このクソヤロウ……今度はレイミも一緒かよ。やっぱテメエもかんでやがったか……ちっ絶
体絶命だな。知人のよしみだ……苦しまないように一発で殺ってほしいね」
  唾を吐くように言葉を叩きつける。
「苦内も今ので尽きた。殺んなよっ」
「千穂、何言ってんの……」
   くずお
  だが、頽れる千穂の目は、まだ死んでいなかった。
「危ない、優香!」
  レイミが叫ぶと同時に、千穂も動いた。
  一気に身を沈め、下半身から滑り込んでゆく。
  スライディング状に相手の足を攻撃する技だった。熟達した者がやれば、実によけがたいタ
イプの攻撃である。
  人は、攻防においては意識の大半は相手の上半身に向かう。
193 illust(battle scarred Chiho)
http://img692.imageshack.us/img692/1193/vgncarrot193.jpg
Variable Geo light Novel scans

194
  自ら足技を鍛えて操る空手家といえど、その例外に位置するものではない。
  膝への関節蹴りや金的蹴り等をもらわなければ、空手家は自分が下半身への攻撃であっさり
倒されないことを知っている。
  そして、それらの蹴り技に対しては、ほとんど条件反射的にガードできるのが空手家だ。
  その時、目の位置はやはり相手の上半身となる。
  蹴りからつながる手技の方がよほど恐ろしく、それこそ一発で勝敗を分けると体で知ってい
るからだ。
  例えば、その他に下半身を狙うものといえば、タックルがある。
  空手のみならず、立ち技を得意とする人間は、タックルによって足をとられ地面に転がされ
ることを嫌う。胴体に組みつかれるのも同じだ。
  そして、実際レスリングのタックルや、柔道の諸手刈りによって寝技へ持ちこまれる空手家
は多い。組み技巧者のタックルは、現実として迎撃が困難だ。
  強力な拳や膝でその突進をとめ、一撃で仕留めなければならない。
  しかしそれは、素手で猛牛の突進を止めるようなもので、その確率が極めて低いことは現在
格闘技界の常識である。
  が、優香は久保田潤という天才レスラーを知っている。
  世界で最も恐ろしい組み技の使い手を友とし、練習相手にしているのだ。
  千穂が狙ったのは、それを知った上での盲点だった。
195
どれほどすさまじい潤のタックルも、上体を前に突っ込んでくる。
千穂は、潤のタックルに勝るダッシュ力と、優香の慣れを利用するためにこのスライディン
グキックを考案し、練り上げたのである。
前進し、接近する半ばまで、千穂の上半身は上にも下にも動かなかった。
それが一気に沈んだ時には、体重を乗せた蹴りを届かせていた。
もはや、跳躍することもままならぬ千穂にとっては、たった一つの技でもあった。
千穂のスライディングは、優香がそれまでに体験したどんな攻撃より早く、絶妙だった。
潤が時折見せるカニ挟みの速さをも凌いだ。
そして、その苛烈さでも上だった。
     そくとう
千穂は、右足刀で優香の左足首を捕らえていた。斜め上から蹴りこみ、かかとの方ヘ押し込
むようにした。
  その角度からの足首への攻撃は、足を地面に縫いつけられたように固定し、ダメージを余さ
ず叩きこむ。
  地味ながら恐るべき技だった。
  もし、優香がほんの数ミリ単位の反応をしなかったら、この一撃で左脚は全く使い物になら
なくなっただろう。いや、千穂が万全の状態なら、それでも足首を砕かれたかもしれない。
  もう一つの千穂の足は、優香の膝頭を割るために用いられた。
  しかし、それは空を切り、優香の膝は破滅の音を聞くことはなかった。
196                   ろっこつ
代わりに、優香は膝をついてしまい、それが千穂の肋骨をへし折った。
                             ぢずりそくとう
「ちっ……起死回生の"地這足刀"。完全に決めたいとこだったが……後はまかせたぜ」
血を吐く千穂がウィンクを送ったのは、優香を睨めつける聡美だった。
「聡美!」
「この外道……ついに正体を現したわね、優香」
今ここへ着いたばかりの聡美には、そのようにしか見えなかった。
せっこう
斥候を買って出た千穂を、優香が叩き潰した。それが聡美の見た現実であった。
  レイミが対峙する二人の間へ立ち、一触即発の事態を回避させようとする。
「お待ちなさい……これは罠よ。彼女はすでにボロボロだった。何者かにあの暗闇で襲われ、
勘違いして優香に打ちかかったの……」
「あなたもグルでしょう……近寄らないでっ!」
          ひらめ
  聡美の平手打ちが閃いた。
軽く片手でブロックできるほどの威力しか感じられなかった。
  しかし、レイミは背筋に冷たいものを覚え、大きく飛びのいた。
自分のいた空間を、業火が焼いたのはその直後だった。
3mの間をとっても眼球を痛める熱気があった。
「レイミ、どいて」
                             の
  優香は、その炎の恐ろしさを感じぬかのようにレイミを押し退けた。
197
無造作に近付いていく。
  聡美はいつでも炎を放てるよう身構えていた。
「焼くなら、焼いていいよ。聡美がそうしたいなら、好きにしていいよ」
  「!」
「でもね、ボクに最後のチャンスをくれない?焼くのはボクが大ちゃんを連れ戻してからに
して」
「――信じろと言うの?」
「信じてくれなくても、いいよ。だけど、聡美をこの中で闘わせるわけにはいかない。そした
らきっと、聡美は二度とここから出てこない。出てきたとしても、聡美はもう二度とこっちの
世界には戻らない。その時そこは真っ暗闇で、永遠に朝がこない世界だよ」
  「………」
  その時、どこからか山彦のような声が響いた。
  遥か遠くの山からのようでもあり、すぐそこのドームの闇からのようでもあった。
  それは、間違いなく聡美を口説いた室田奈美恵の声であった。
「八島聡美……早く上がってこい。ドームの中の、この五重の塔の最上階へ。おまえにふさわ
                         こよい
しい各階の強者共を倒し、我々への忠誠の供物とせよ。今宵0時……月が真円に達する時を刻
限とする。それまでにここへ辿りつかねば、弟のことは保障せぬ」
  優香は、さらに接近していた。
198
もはや、二人は30cmばかりの間近である。今聡美がその気になれば、優香は大ダメージを免
れまい。
優香は聡美の肩を両手でがっしりとつかんだ。
「ボクが行く。どの道、満月の聡美なら、どんなヤツだって黒コゲにできる。一階に一人ずつ
の五人なら、あっという間にかけ上がれる。まだ15時間もあるじゃない……ボクに先に行かせ
て」
レイミはその時、聡美に迷いが生じていることを見抜いていた。
レイミは姿の見えぬ者に向かって叫んだ。
「刻限は守らせます。だが、八島聡美の前に、武内優香が先に行くわ。あなた方、嘉島の配下
が十年来監視しつづけた武内優香を、煮るなり焼くなり好きに出来る……いかがかしら!?今
          まんしんそうい
の優香は満身創痍よ。魅カ的ではなくて!?」
相手は数十秒の沈黙ののち、また山彦のようにゆらめく女の声を返した。
「武内優香一人でか……謝華レイミ、おまえは」
「私は、聡美さんを都内のバーリトウード大会へ送り、定刻通りここへ戻すために行動します。
この交渉に応じないなら、今すぐ軍隊を突入させるわ。さあ、どうする?」
「ふふ……よかろう。我々に断る理由は見当たらぬ……」
  レイミは聡美と優香に向きなおり、小さく言った。
「一か八かの賭けが図にのったわね」
199
「聡美、最後のお願い。私の代わリにバーリトウードに出て。そっちの方にはこの先の格闘技
界の未来がかかっているわ。久保田潤が出てくれてるけど、一人じゃどうか……」
優香の願いに、レイミが付け加えた。
「あなたは久保田潤と一度戦ってみるといいわ。彼女は――なんて言うか、この世の真理みた
いなものを知ってるわ。きっと得るものがあるはず」
          やわ
しかし、聡美は態度を和らげようとはしない。
「あたしは、破門になった身よ。今さら旭神館の道着は着れない。そんな義理もないわ。最強
VGクイーンの謝華レイミが出たらいい。それに、あたしには謝華も嘉島も信用できやしない。
全員であたし一人をだましてるのかもしれないんだから」
レイミは、最後の賭けをする気になった。
全く彼女らしくない形の行為であった。
「ええい――まだわからないの!強者に嘘は不要! その鼻には、全くお見通しのはずじゃ
なかったのですか!? この世で最も高貴な、この謝華レィミの血に俗人のごとき汚れなどない
というのに!」
レイミは千穂が投げた苦内を拾い上げ、それを聡美に手渡した。
そして、その手を上から握り込み、思い切り自分の太股に突き立てたのである。
「この体についた初めての刃物傷願……どれほどのものか女のはしくれなら理解できるでしょう
                        ぎんみ
……。さあ、謝華の純血に翳りはありますか! その鼻で吟味なさいまし!」
200
「レイミ、あんたいきなり何するの!?」
優香は、トレードマークのポニーテールを解き、赤いリボンでレイミの足の付け根をしばっ
た。その傷はかなり深く、簡単な止血だけでは、容易に出血が止まりそうになかった。
聡美の心の闇は依然として小さな晴れ間をも作らない。
だが、その中で、彼女は問うた。
  これが迫真の演技だったとして、この血はいったい何を意味するものか……。
  レイミと優香はいつの間にこれほどの絆を結んだのか。
生い立ちや生活レべルを超えて、それは生じるものか。
先日までの自分には、優香のためにこうまですることが可能だったか。
すべては遠い過去のようで、確たる実感が湧いてこない。
「出来た」と断言したであろう自分の姿は漆黒の海泥の中にいて、浮かび上がる努力すら放棄
してしまっている。
しかし、二人の瞳とその体が送る様々なシグナルには、一つの嘘も見い出せない。
「優香、あの時……大介と何を話して、どう過ごしたか、何故言えない」
聡美の問いに優香が答える。
「それはね、やっばり今は言えない。大ちゃんを無事にとりもどして、直接本人から話させる
……ボクには、それしかできないよ」
            みじん
道場で見せた動揺は、今は微塵もない。
201 illust(Yuka!!)
http://img682.imageshack.us/img682/6591/vgncarrot201.jpg
Variable Geo light Novel scans

202
太陽みたいに輝かしい、よく知った優香が立っている。
「信じたとは、とても言えない。……だけど、代わりに大会へは行く。久保田潤とも、闘って
みたいと思ってた。ぞも、大介の身に何かあったら、私は誰もかれも焼きつくす。今のあたし
は、絶対に誰にも止められない」
「うん、わかった」
あの久保田潤なら、何かを教えてくれるかもしれない。何もわからなくなった自分に、何か
をーーー。
聡美は、それに賭けてみようと思った。
聡美は、久保田潤のいる戦場へ向かった。
そして優香は、魔物たちの座する塔へーー
« Last Edit: November 19, 2009, 02:31:50 pm by Satoru182 »

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #34 on: November 16, 2009, 10:22:25 pm »
202
                     4


  日本中が注目するバーリトウード大会は、そこに集まる関心とは裏腹に、世間の目を避けて
行われた。一切のマスコミは何者かの圧力によって封じられ、大会の存在自体が隠されている。
  その点に関しては、VGよりも厚い鉄のカーテンが引かれているようだった。しかし、格闘
203
技関係者と時代を担う各競技の選手たちは、その大会の重みを知っている。
VGは超人の集まりだ。
       とうてつ
その闘いは美しく透徹した輝きを放っている。
闘う者にとって、ある種の聖地といってもいい。
武道を追求することで、いつかは彼女たちと同等の境地に辿りつけるかもしれない。同じ輝
きを手にしてみたいという希望を生む。
  彼女たちの異次元的な闘争は、闘う男たちの大半を萎えさせもしたが、ごく一部にはそれま
で以上に奮い立つ者もいた。
しかし、この大会はちがう。
ここで彼等が破れ、主催者が勝利すれば、格闘技の世界に夢はなくなる。
  あらゆる団体は暗黒の組織に組み込まれ、その私兵に近い状態になる……そんな噂があった。
  当日発表された大会の内容は、それを裏づけるようなものだった。
  完全KOによる決着はともかく、それ以外は、骨折をともなう戦意喪失か、死亡によるもの
となっていた。目突き、噛みつき、金的攻撃さえ解禁であった。
  そのトーナメントには、体重制もラウンド制もないバーリトウードルールが用いられ、その
上に、性の区別もないのだった。
男と女が、こんなルールのもとで戦うのだ。それはまぎれもなく史上初の試みだった。
それを知った出場者の半数近くが辞退を決めた。あるいはそれも一つの罠だったかもしれな
204
い。残った中に、闇の勢力がどれだけいるのか、誰も知らない。
真剣勝負では最強と噂されるプロレスラーがいる。
  誰が相手ぞも結果は同じと豪語する伝説のバーリトウードチャンプもいる。
  どこの誰とも知れぬ野人のような男もいた。その男は、2m30cm、240kgの巨漢だった。
  平気で目をえぐり、耳を噛みちぎる残虐ファイトで有名なカラテ家もいる。彼にとっては最
も好ましいルールなのかもしれない。
  数ヶ月前まで現役のへビー級チャンピオンだったボクサーが、バンテージのみで臨むという。
彼にはまだ、タイトル奪取へのチャレンジの道が残されているというのに。
  そんな中に、久保田潤と八島聡美は立っているのだ。
誰一人の声援も起こらない異常空間の中で、第一試合が始まった。

優香は、たった一人巨大な闇を進んだ。
ドームに足を踏み入れた瞬間、扉は外界からの光を閉ざしている。
真の闇の中では、過ぎゆく時を把握する能力までが失せる。
手探りで歩き出して数分のつもりだが、もしかしたらもう何時間も過ぎているのかもしれな
い。立っているのかどうかも怪しくなっていた。
205
  けいらく                           すべ
体内の経絡に気をめぐらせることでしか、優香には自分の存在を確かめる術もない。
「!」
優香は、よろけそうになりながら上を見た。
そこに、光源が生まれたからだ。
星だ。
それは、精巧に天空を模したプラネタリウムだった。
星は少しずつ数をふやし、全天を埋めつくしていく。
周囲の全て水平線とする大海に投げ出された気分だ。
自然そのものの立体感をもって、秋の星座が再現されていった。
最後に姿を現したのは、野外のものと寸分たがわぬ満月であった。
「聡美を迎えるにはおあつらえ向きの戦場ってわけね………」
  この本物と見違うばかりの絵をつくるために、この広大な空間は用意されたのか。こんなも
のを用意する真意の程とはどんなものか、優香には想像もつかない。
          そび
月光の下に暗黒の塔が聳えている。
すでにその入口は開け放たれ、優香はその中に第一の敵を見定めることができた。
その姿は何故か、ウサギの耳を頭につけたバニーガールだった。
「よう、優香じゃんか………相手っておまえだったの?」
206        ゴ‐ルド
「エリナ………エリナ・G・スミス!?なんであなたがここに……」
  それは、VGで知り合った大阪生まれのハーフ娘だ。反則まがいの行為もするが、それが大
阪はミナミで育んだケンカ殺法の流儀らしい。
  やたらと明るい反面涙もろい性格で、優香とは初対面から気心が通じ合った。
  海の向こうで一人ぐらしのお婆ちゃんを日本へ呼ぶため、その資金かせぎにVGへ出たと聞
く。優香が優勝したら賞金をわけると約束したが、それは果たせずじまいだった。
「変だな………VGに新メンバーが加わるんでその試験みたいなもんだと言われたのに」
  エリナは耳を指でほじり、首をコキコキ鳴らした。
「でも、まあイッか。対戦相手の変更なんて珍しくない。とにかく誰も上に行かせなけりゃい
いんだ」
「まってエリナ!おねがいだから黙って通して!次のVGで約束守るから!」
「それがな、この仕事で三千万入るんや。それにグランドマザーの体調ヤバクって、急がなな
らへんねん………。なあ、勝ち譲ってんかァ?」
肩をすぼめ、声を落とし、泣きそうな顔でエリナは言う。
それから「ハアア………」と下を向いて大きな溜め息をついた。
だが、それが彼女の手段だった。
優香が緊張をゆるめた瞬間を見逃さなかった。
そんな呼吸の盗み方、掛け引きには、優香の及びもつかない上手さがある。向かい合い、開
207                             こうかつ
始の合図と共に戦いが始まるVGでは、ついに発揮できなかったエリナの狡猾さであった。
「うら――っ、エリリン脳天パンチィッ!」
エリナは喰らいつく女豹のように躍りかかった。
ジャンプして虚をつき、思いっきり頭項をど突く荒技だった。
ちせつ
稚拙なようでいて、エリナの瞬発力と豪腕をもってすればその一撃を決することができる。
優香は避けるので精一杯だった。着地してもエリナの攻勢が止むことはなかった。
「優香ア………これが浪花流じゃあ!汚いことあらへん、ケンカやったらウチが最強やねん!」
ガツン………と、見えない拳が優香の顎をぶち抜いた。
それは、右のアッパーか、あるいは下から突き上げるようなストレートだったのか。
見えないながらもガードはしたのだが、その隙をぬって打ち込まれた。いや、ガードを固め
る前にくらったのかもしれない。
次も右。
その次も右。
また右だ。
信じられないような高速の右の連打を5発までは数えられた。その後は、その高速のスピー
ドをおとさぬまま、あらゆるパンチが雨あられだった。
  エリナは一年前より、確実に強くなっている。
  一度は勝ったという記憶があいまいに思えるほどだった。
208
  エリナの拳は正式な武道や格闘技のものではない。
だが、相手を叩きのめすという事においては同等以上の威力があった。
骨の根っこに響くのだ。
知ってか知らずか、きっちりと人体の急所を攻めてくる。形もへったくれもないパンチなの
に、まさかというタイミングで思わぬ角度から的確に痛めつけてくるのだ。
まぎれもない殴りの天才であった。
天才の上に、路上の人体実験を優香の数百倍もこなしてきていた。
ケンカで最強の人間は、あらゆる武道家に勝ると言い切る者もいる。
そんな存在がいるとすれば、それこそがエリナ・G・スミスだ。
しかし、無数の鉄拳をうけてなお優香には気絶することができない。
(今日だけは……誰にも負けられない。どんなことをしても――)
「もうグロッキーか!? んなら、とどめのエリリンファイヤーじゃ!」
                  てさば
手品師顔負けの手捌きで、エリナの手が胸の谷間の隠し武器を取った。
改造した特製ライターだった。
                 かえん
その技は一度見ている。この後にくる火焔放射は強烈だが、聡美の技にくらべたらテレフォ
ンパンチだった。
炎の大きさも威力も、比べものにならない。
だが、たきく距離をとる時間はなかった。エリナもそれを見こしての駄目押だ。
209
優香は生まれて始めて、空手でも気道でもない技を用いた。
それは言わぱ、浪花流エリナ仕込みの流儀だった。
                             こんしん
口に溜まった大量の血を、エリナの目に吹きつけていた。そして、渾身の左ストレートに全
てを賭けた。千穂に痛められた足首がもつれ、倒れ込みながら打ち込んでいた。
「くっそう、効いたア………優香がその手でくるとは予想外やったヮ」
  エリナ・G・スミスは、大の字になって天を見上げていることになった。
「ゴメンネ……今日だけはカンべン。こんどタコ焼きおごるよ」
「まあエエわ……エリナ直伝のケンカ殺法ってとこやし。それから、これ持ってきイな。ウチ
の秘密の小道具や。……早よ行け、今から失神すんねんから」
優香はエリナから託された物を受け取り、両手を合わせて拝んでいた。

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #35 on: November 16, 2009, 10:23:37 pm »
209              5


久保田潤が二回戦を勝ち抜いた。
聡美もたった今、二人目の対戦相手を、沈めたところだった。
会場には、二つの試合場が設けられ、同時進行で試合が行われている。
210
                      オクタゴン
形状は直径5mほどの八角形闘技場だが、外界から隔てる金網は野球のバックネット並みの
高さを備え、天上も塞がれている。
プロレス風にいえば金網デスマッチだ。しかし、その本当の意味はタオル投入を封じてセコ
ンドによる戦闘中止をさせないことにあった。
もちろん、逃亡もできない。
選手たちが立つのはレスリングのマットではなかった。
一切のバウンドが起こらぬよう、厚い鉄板と板を何重にも重ねた特製品だ。
つまり、投げは致命傷となる。
打撃でのKOも、通常とはくらぺものにならない危険がともなう。
意識を失って倒れ込んだ時に、足許の堅牢さは突き蹴り以上の凶器たりえるのだ。
路上での格闘を考えれば、その怖さがわかる。
素人のケンカにおいて、体重をのせた本当に効く投げ技や、きれいなバンチによる失神をと
   こんとう
もなう昏倒は少ないのだが、そうなった場合最も危険なのは固いアスファルトによって受ける
ダメージだ。
この試合は、ルールも試合場も危険きわまりないものだった。
            おり
潤と聡美は、同時に悪夢の檻を出た。
事情を知らぬ旭神館の同門たちは、優香の代わりに聡美が出ていることに驚きつつも、精一
杯の応援を送っていた。
211
太子橋がどんな目で見ているのか、それを確認する気にはなれない。見なくても想像がつく。
「おい、あんたなんでそんな格好なんだい?」
話しかけるのは久保田潤だ。
聡美は、「びっくりモンキー」の衣装をつけていた。空手着は昨夜血にまみれ、袖口は焼けて
しまった。代えの道着も、もう着ることはない。自ら破門となった身であった。
「そういうあなたも同じでしょう」
「オレは、こいつが動きやすい体になっちまってね。VG用なんだ」
潤の方は、明るいカーキ色のスカラークの制服に、肘パットと膝パット、そしてレスリング
シューズだ。
  だが、その制服の胸元は深く裂け、張りつめたバストの谷間が半分以上見えている。
右腕の生地は肩口までもぎとられ、健康的な褐色の肌を露出させていた。
「気付いたか……今残ったやつのほとんどが、ドーピングしてやがる。それも、聞いたことも
ないようなハイパワーを引き出すやつをね。おかげで苦戦しちまった」
「千穂から聞いたわ。『アースシェイカー』て技なら楽勝でしょうに」
潤はニヤリと笑って言った。
「薬漬けスーパIマンといえど、もともとは一般人。VG戦士がマジにはなれねえ。それに、
あんたにやまだ見せたくない。オレもまだ、あんたの力を知らない……五分の条件さ。あるん
だろ?その拳になんか凄えものが爆発寸前なのがわかる」
212
「……」
聡美は、言われた通り、目の前に立つものを一気に焼きつくしたい衝動で一杯だった。
それを抑えるために、二試合を一発の掌底と、一発の廻し蹴りで済ませた。攻防などしてい
たら、いつそうなるか自信がなかったのである。
  一人目は元世界へビー級のチャンピオンだった。彼も薬物を摂取しており、とてつもない攻
撃性と筋力を引き出すため、多量のアドレナリンが体内に分泌されていた。
彼は、世界ランカークラスのボクサーを連続100人以上は撲殺できそうだった。本来、ア
ドレナリンやエンドルフィン等の脳内麻薬は人体内にごく微量しか存在せず、あまり長時間は
持続しない。
  ところが、彼の場合そうではないと聡美は見た。
空手で百人組手という荒業を行う時、早い者で三時間、一人に時間をかければ半日以上かか
る。途中で休憩を設けることもある。
それを、その相手ならば一時間以内でやるだろうと、聡美の勘が告げた。
そういう薬を用いているのだ。
  名のあるアスリートであり、すでに金も名誉もある者がそれをするということは、後に後遺
症を起こすことがないと確信できる薬物に違いない。
  聡美は、公開処刑をさけるために、掌底の一打で倒した。
殺人的コンビネーションをかいくぐり、胸板をこすりあげるように掌を上に突き下げたので
213 illus(Jun&Satomi)
http://img18.imageshack.us/img18/6531/vgncarrot213.jpg
Variable Geo light Novel scans

214
ある。
元チャンピオンの強靭な首がのけぞり、スキンへッドの後頭部が自分の背骨を打った。
下半身をけいれんさせ、白目をむいていた。
二人目の狂暴な外人カラテ家も似たような展開だった。
炎を使う相手は、久保田潤だけと決めていた。
その代わり、思い切りの火焔をぶつけてやるつもりだ。
その時こそ、潤も『アースシェイカー』を使うはずだ。潤から何かを受け取るとしたら、そ
の瞬間以外にはない。
           さら
潤の底力を晒け出させなければ、彼女が知るという真理を垣間見ることはできないと思えた。
                           すご
「次の準決勝――VG経験者の凄さを教えてやる」
「………」
無口に歩き去ろうとする聡美に、潤は言った。
「夕べ、優香から電話もらった」
「………」
「弟のことは大変だったな。けど、優香を信用してやれ」
「あなたは信用できるの?あなたはスパーリングをしたと言った。優香はしてないと言った。
あなたを信用すれば、優香を信用できないのよ」
  潤の瞳は、この前と同様に晴れわたっている。
215
体奥に充実する不思識なエネルギーもまた、爽快感をともなって伝わってくる。
「オレが信じてる優香を信じろ。アンタ、オレより優香とは深いはずだ」
「ムリね」
聡美はそっけなくつき離した。
潤の単純さがうらやましかった。


215            6



優香はさらなる苦戦を強いられていた。
  一階のエリナ・G・スミスからうけたダメージは抜けていないし、塔へ昇る前にレイミに射
ってもらった痛み止めも切れかけている。先日聡美にやられた肩と脇腹に、一刻ごとに熱が戻
ってくる。
鼓動のたび、熱と一緒に痛覚が蘇ってくる。
千穂の地這足力は確実に右脚首の可動を制限し、フットワークは思うようにいかない。
二階の相手と戦うには、そのことは絶望的なデメリットだった。
「どないしはったん、優香さん?」
216
  ダウンを喫した優香を見下ろすのは、みっちリとしたボディコンで身をかためる女だった。
戦闘にはまったく不向きなハイヒールをはいていた。
  これが二階を守る 結城綾子 のスタイルであった。
  彼女もまたVGで馴染みの顔だった。
「くっそう……よリによって、こんな体で綾子となんて」
「早よう立っておくれやすウ。うち、まだまだ踊り足りまヘんえ」
鼻から抜けるようなゆったりした京都なまりだったが、その抑揚とは全くちがうリズムで体
を小刻みに揺すっている。
  見ていると、流行のユーロポップが聞こえてきそうだった。
「ンモウ……誰かミュージック流してくれはらヘん?」
  体がうずいてどうにも踊リを止められない様子である。
  優香はのろのろと身を起こしてファイティングポーズをとるが、綾子の躍動感に対抗する精
気が全くない。
「民謡か子守り歌のテンポにしてくんないかナ」
「イヤどすえ……うちの一番好きなんでいきます。今は亡きジュリアナサウンドや!」
  目を奪われるようなダンスだった。
  人と殴り合いをする人間の殺気などない。本当に楽しそうに踊っている。人間に備わった本
能的な欲求を、全て踊ることヘ転化できる女――それが綾子だった。
217 ILLUST (Gorgeous Ayako dancing)
http://img121.imageshack.us/img121/4310/vgncarrot217.jpg
Variable Geo light Novel scans

218
全生命力を駆使して綾子は踊る。
魂を燃焼させる手段として、舞踊は古来からこの世に伝えられてきた。
  シャーマニズムが人々を動かした時代から、神への捧げものとして存在したのだ。
神から授かった身体を最高の形で表現し、魂の昇華とともに天へ届ける。
  その作業こそが踊ることの本来の姿である。
  それが出来る者には、人間の身体に宿る力を100%解放する権利がある――と言い替えて
もよい。
  だからこそ、一流のバレリーナに人は魅了されるのである。
  ある格闘技界の重鎮は、"ダンサーとはケンカするな"と発言した。
  彼らのリズム感というものは、格闘技をする者にとってさえ脅威だ、という意味である。
  あらゆるスポーツ、格闘技においてリズム感は重視され、自分のそれをつかみ、相手のそれ
を崩すことは、どんな競技でも勝利への近道といえるからだ。
  また、一流の舞踊家は考えられぬほどの筋力を持つ。
  その俊敏さと機動力は、なまじの格闘家にはない天性を地道な訓練で伸ばしたものだ。
ブロードウェイで空手アクションを使うショウが催されたおり、指導を引き受けた空手家が
彼らの飲みこみの早さに舌をまいたという実話もある。
  一流の舞踊家たちには、常人が長年かけてやっと身につける高度な空手の型でさえ、造作な
く吸収することができるのだ。彼らは人間の体をより良く使いこなすことにおいて最も秀でた
219
種族であると断言できる。
結城綾子は、そんな舞踊家たちの中でも、世界最高峰の資質を持っていた。
その踊りを磨いた場所が煙草くさいディスコであっても、神はやはり彼女を愛したのである。
ジュリアナサウンドの毒々しいリズムが、幻聴となって優香の耳に響く。
左足首の痛みをこらえて踏み込んだ。
優香の右正拳は空を切った。
綾子は凄い速さで横へ回り、煙のように視界から消えてしまった。
とたんにジュリアナサウンドは止み、まったく別のリズムが優香を飲みこんでいく。
綾子の体は、優香の足許にあった。
  ――ブレイクダンスだ。
  背中を床に付けて、回転がもはや始まっている。
          む
  必殺の舞踏が牙を剥く瞬間だった。
綾子の脚が、優香の両脚を払った。
  面白いほど簡単に空中に浮かされた。
「!」
「マッハスピン言いますねん」
  空宙を遊泳する優香に向かって、綾子はニッコリと笑いかける。
  だが、それも高速回転のためにかすんで見えた。
220
次々に下からくる蹴りは優香の体を落下させずに跳ね返した。
  現代的なストリートダンスやブレイクダンスを、若者が生んだ単なるお遊びと考えるのは誤
りだ。人に見せて金をとれる連中ともなれば、その体をしっかりと整備している。
  関節は充分に柔らかく、心拍機能も高い。
  そして、首を鍛えないことにはブレイクはおぼつかない。
  頭頂部で全体重を支え、首を軸にして回転するスピン技は、見せかけの奇抜さだけでは成立
し得ないのである。
綾子もまた、格闘家に劣らぬ首のバネを有していた。
  そして、首のスプリングと両手の力で、優香の体をさらなる上空へ弾き飛ばした。
優香はきりもみ状に舞いながら、背中から天井にぶつかり、落下した。
なんとか両足で着地したが、すでに綾子が迫っていた。
「――行きますえ~~~~~っ」
綾子はどこかで見て覚えた技を使った。
空中へ飛び、前方回転しながら踵を叩きつける技だ。
空手でいう胴廻し回転蹴りであることを、彼女自身は知らない。
  一度見た動きを、より上手くより強力にすることができるだけだった。
優香はそれを浴びるわけにはいかなかった。いや、その他のどんな一撃にも、もう耐えられ
そうにない。
221
優香は、叫んだ。
「綾子ーーゴメン!」
「きゃあ!」
横に倒れるようにかわしながら、優香は綾子の顔に何かを投げつけた。
ヒールが優香の頬を切り、綾子の方は顔面を白い粉で汚されていた。
優香が投げたのは、スーパーで売られている片栗粉である。
                    つぷ
薄紙に包んだ粉を掌でにぎり演し、それを目潰しに使ったのだ。
一階でエリナ・G・スミスにもらったケンカ道具だった。
視界を失った綾子の背後から、優香はそっと手刀を入れた。
トンーーと首を軽く叩くような感じだった。
バーリトウード会場がどよめいた。
素直な驚きと、深刻な疑問が客席に広がっている。
全ての視線は潤と聡美へ注がれた。
彼らは、その二人が本気でぶつかり合っていることの意味がわかっていない。
久保田潤が自分たちの未来を背負っていることは知っている。
222
  そして、旭神館の出場枠で参加する聡美のことも味方と考えていた。日本格闘技界からの神
頼みという形で、旭神館から選手が一人送られることだけを知っていたのである。
  聡美という小さな少女が期待を裏切らぬ選手とわかって喜んでいた。そして久保田潤と彼女
の内の、どちらかが折れてくれるものと読んでいたのである。
これは、個人のための戦いではない。誰もがそう思っている。
しかし、どうだ。
二人は、必死の形相で技をかけ合っている。
聡美は拳圧に恐ろしい殺気を込め、潤の肌を裂き、肉を潰していた。
その聡美も何度か捕えられ、投げられている。
           ほんろう
  悪魔的なスピードで翻弄しているのだが、何度か着衣に指が掛かり、力まかせに放り投げら
れていた。猫のように体の前面を下にして落下することで投げのダメージを殺してはいるが、
肘や膝はその際に出血することになった。
金網に投げつけられた時には、丸めた背中がアーチ状のへこみを作っている。
  万一、胴体か首に腕をからめられたら、その後の投げでジ・エンドだ。フリースタイルレス
リング式の首投げ一つで逆転があり得る。
グレコローマン式にフロントスープレックスなどもらえば、固い床は数トン分の衡撃となる。
「おまえ……強えよ。なんでVGに出なかった。こんな所でやりたかなかったぜ」
「……VGとここと、どう違うっていうの」
223
聡美は無情な強打を顔面に入れる。
満月の力を宿す聡美の拳を、潤はまともに受け止める。
山か、地面を叩いている気がした。
「違うさ」
大地のような女が返す。
「――VGはな、何より殴んのも殴られんのも気持ちイイ。勝つのも負けんのも、大した差は
ねえ。あそこは、その時最も神に愛された者が勝つ……そんな所さ」
「笑わせないで……いつどこでも、強い者が勝つ!汚くても醜くても、容赦ない者が勝つ!
世の中、そんな風に出来てんのよっ。ただ強くても、汚いやつに負けることがある……。あた
しは一度も、あたしを嫌ったり大勢で追いつめたりする人たちに勝ってない。ただの、一度も
……」
聡美が打つ。
左の鎖骨が砕けた。
潤は骨の砕ける音にも構わず掴みにいく。
血と肉と言葉を交しながら、二人はまた離れる。
会場から怒号が届く。悲鳴もあった。
潤が、両眼から血を流している。
               えぐ
鎖骨を叩き折った後、聡美が指で決ったのだ。
224
  眼球こそ傷つかなかったが、目尻の皮と、粘膜をこそいで持っていった。
「あんたの方が、あたしより強いかもしれない。でも、そのあたしが勝つの。これも空手の技。
正々堂々の武道だって、こんな風につくられてる」
「ククク……バカヤロウ!目潰しなんかがそんな大したものか。今、確信した。あの日の優
香の拳は、今のあんたの技とよく似てた。ちょっと違和感があったのは、そのせいだ。……あ
れは優香じゃなかったんだ。信じる気は、本当にないのか?」
「何言ってるの?当たり前でしょう」
潤の体に、何か流れこんでゆくのがわかる。
試合場の床の下、さらに建物の地下からだ。正に大地からそれは湧き上がってくる。
潤はついに、全開のパワーで臨む決心をしたのだ。
「オレは負けない……戦友を……いや、あの優香を信じられねえおまえにオレは倒せねえ」
潤の胸の辺りにわけのわからぬ圧力の源がある。それが肩と腕を通って掌に集まるのがわかった。
                まこと
「世の中にはよ、ほんの幾つかだけ真実が転がってる。それが、あいつだ。今から使う技は……
優香の腹ん中みてえにスカッとする技だぜ。こいつで吹っ飛びな」
  潤は会場の四方に顔を向け、よく通る声でいった。
「みんな伏せるか逃げるかしろォーー―大ケガするぜェっ !聡美、さあ来 い!
225
聡美は恐怖を覚えた。
望んだ技とはいえ、全力でかからねば殺られると思った。
「ウオォォォォォォ―――――――――――――ッ!」
  潤が左手を頭上にかかげ、雄叫びをあげた時、聡美は内なる炎を叩きつけた。
  聡美は二つの掌を振り、体を軸に円を描いて唸らせた。
  流出した鮮血の円は業火を生み、小型の竜巻のようにとぐろをまいた。
  潤の体は、焼かれ巻きあげられ、紙くずのようにどこかへ飛ばされるはずだった。
  しかし、火の渦が彼女を包む寸前、潤の両手が足許へ打ちおろされ、その時――奇跡は起きた。
青白い光のようなものが、そこから吹きあがり、巨大な炎とぶつかったのだ。
数十cmの厚みのある床は割れ、その下の鉄板ごと浮き上がっていた。
金網は枠組ごと八方へ吹き飛び、それを追うように炎が荒れ狂った。
「……あたしの炎が」
聡美は試合場から客席の方へ弾き飛ばされていた。
呆けたように立って潤を見る。
がれき
瓦礫となった試合上の中に、久保田潤がいた。
「……今のはこれでも手加減したんだぜ。優香ってやつは、これを本気で叩き込んでも立ち上
がるんだ。何故かわかるか……それは、たぶん優香の中身がこれと似てるからだ。それはつま
226
り、あいつの中に真実があるってことだ。わかったら行け。行ってあやまってこい。ここは、
オレが守る」
  レイミが、聡美の背後に歩み寄って言う。
「さあ、あとは――潤のバカ力にまかせて、行きましょう。彼女は大言壮語をしない女よ」
会場スタッフは、この期に及んでも二人に戦闘続行を告げた。
潤が決勝に立つことを望まないらしい。
出来るなら、潤と聡美をもっと傷つけ合わせてから、と思っているのだ。
しかし、立ち去ろうとする聡美とレイミを止めることもできなかった。取り囲んではみたも
のの、恐怖で体は硬直し、海が割れるように道をあけた。
« Last Edit: November 19, 2009, 02:18:59 pm by Satoru182 »

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #36 on: November 16, 2009, 10:38:54 pm »
P226             7


「私は、ここで待ちましょう。この体では足手まといになりかねない。二時間たって戻らない
ときは、兵を動かします」
  レイミはドームの入り口で言った。
その言葉に偽りはなく、戦車とへリがすでに配備されていた。周辺の道路は封鎖され、局地
227
的な戒厳令といっても過言ではなかった。
刻限まで、あと二時間。
月は高く、その前を雲が黙ってすぎてゆく。
聡美はレイミに礼の一つも言わず、ドームの中へ入っていく。
「次はVGで会いましょう。優香と一緒に来るといいわ」
それはレイミの願いだった。
  レイミは、優香は最上階へ辿りついていると信じていた。どんな敵が相手で、どれ程傷つい
ていたとしてもだ°
              ふっしょく
それでもまだ、最悪の形の結末を払拭できなかった。
"八島聡美は、戻らぬかもしれない――"
                  そうぼう    いんうつ
当の聡美は何を思うのか、どんよりと曇った双眸が陰鬱な月を映していた。
さら
一階で聡美を迎えたのは、抜けるような白い肌を晒すエリナ・G・スミスだった。
もちろん、聡美はその名を知らない。
                  ひも
「あうう、誰やネーチャン。……うッ、紐ほどいてんか、頼むわ」
エリナは黒のバニーガール姿だ。しかし、それはバストや股布の辺りを切りきざまれて、内
228
味を露にしてしまっている。
  美脚を包む網タイツも、刃物でスリットを入れられていた。
両手両脚を縛ったロープで四方向から強く引かれ、大の字状に全身を解放させられており、
その格好で"三角木馬"に乗せられている。
                                   マゾ
「早うこれから降ろしてちょーだいな。お股に食い込んできっついわコレ。わてMちゃうっち
ゆーねん。食いこんどんねん!これきっついわ!」
  そこだけが鮮やかに赤い秘裂は、本当に今にも割り裂かれそうだった。
          いんとう
中心の淫豆は圧力でひしゃげ、エリナがもがくたび左右にねじれていた。
                  いんび
何者かがご丁寧に剃毛までしたらしく、淫靡な局部は完全な晒し物だった。
金色の陰毛が、木馬の下に散らばっている。
  股間からゆっくりと太股を下るのは、シェービングクリームのなごりか、それとも別のぬめ
りなのか……。
「優香は……」
                      ざま
「行ってもうたがな。のびて気がついたら、この様や……ウウッ、なんやネーチャン、人殺し
みたいな目エしとるで。怖いやっちゃなあ。でもな……」
「?」
「今日の優香は一味ちゃうで。いつもの甘ちゃんスポーツ娘やない。生まれついてのケンカ師
がこの通りや……それより、降ろして。えーな……」
229 illust (Eririn tits!!)
http://img121.imageshack.us/img121/9711/vgncarrot228.jpg
Variable Geo light Novel scans

230
「………」
聡美はエリナをそのままにして先を急いだ。
トラップ
罠を予想して、決して近よろうとはしなかった。

二階の女もまた、何故か裸にむかれて放置されていた。
気を失っており、何も聞き出すことはできなかったが、そこで行われたことは見当がついた。
ここで女を倒したのは、間違いなく優香だ。
流した汗と血が鼻腔にそれを教えてくれた。
仰向けに眠る美女は、熟練の手によって体を拘束されていた。
赤い紐の結び方は亀甲縛りという名称を持っている。ほどよい苦痛と恐るべき快感を与える
    やわはだ
べく女の柔肌を捕らえていた。
細紐は快楽を知る娼肉を適切な力でへこませ、全ての快楽のツボを縦横無尽に網羅している
に違いなかった。
女は気を絶えたまま、いまだひくひくと蠢いている。
それは殴られて失神したとは思えなかった。
全身はピンク色に火照り、たっぶりと妖旨を含んだ油汗をにじませている。
231
    めす
発情した牝の匂いがする。
女は、倒されて一度目覚めてからイかされたのにちがいないと思った。
(――目つぶしの粉………優香の匂い。でも、こんなレズ趣味なんかは………これは室田に決
まつてる。とすると、二人がかりでやつたのか……)
  なぶ
女を嬲って楽しんだのは室田にちがいない。充満サる獣臭は、巨大な牲猿のそれだ。
聡美はギリギリと奥歯をこすりあわせた。昨夜の屈辱を思い出していた。

階を進むほど、聡美の不信はぶり返す一方だ。
久保田潤の技の中には、彼女が語った通りの真実があった。
"聖なる"――と表現してもよい何かの加担があの技の正体だ。
潤の言葉を借りるなら、それが理屈の通じぬ真理というものかもしれない。
一瞬、潤を信じてもいいとさえ思われた。
住む次元の違うきらびやかな世界の令嬢、謝華レイミの中にも、似たものがあった。
それは、聡美に優しくしてくれる神主の眼差しの中にもあるのかもしれない。
館長はやはり、それを見失った自分へ向けて「獣になった」と言ったのか。
ここへ来るまで、頭の中をめぐっていた逡巡が、今また遠のいていく。
232
  聞の住人である千穂は、きっと同じような問答を心の中で繰り返したはずだ。
  汚れた人間や、腐った出来事で構築された世界を知る千穂なのに、どこかにまだ他人を信じ
たい気持ちを押さえこんでいたのだ。だから、聡美の前にあらわれて危険を知らせたし、優香
の真の姿を見極めようとしたのだろう。
思い描いていた優香のイメージを、本当は守りたかったのだ。
こんなにも周囲を熱くする優香を憎む自分は何なのか――聡美はそれを何度も考えぬいた。
(まだ、自分は以前の自分に帰れるかもしれない)
ついさっきまで、その望みに賭けようと考える自分もいた。
だが、やはりそれは出来そうもない。
三階に来て、そう思った。
それを見た時、聡美は行く道を決定することになったのだ。
長いおさげを両脇に垂らした、いたいけな少女がいた。子供みたいに泣き叫んでいた。
胸や尻の発達ぶりだけは思春期のものだが、全体の肉付きは弟の大介と大差ない。
顔面に殴打の傷跡があった。左目の上と右頬のところは、倍くらいにふくれあがっていた。
後ろ手に手錠をかけられ、両脚に重し付きの脚力セをひきずって、三頭の犬に追っかけられ
ているところだった。
犬はいずれも少女と同じくらいの大型犬だ。
かみ殺そうとしているのではなく、少女の体に塗りたくられたバターを紙めたいらしい。
233
フロアの隅に追いこまれ、三顔にむしゃぷりつかれてもがいている。そのうちの一頭は尖っ
て節くれ立ったペニスを、少女に押しつけようと懸命だった。
  二本足で立って、前足ぞ少女を押さえつけていた。脚の間に体を割りこませようと苦心する
姿は、滑稽でいて恐ろしいものだ。
               みさお                      じゅうりん
少女は必死で膝をあわせ、自分の操を守ろうとしている。人間以外から聖地を蹂躙されるこ

となど考えたこともなかったろう。不士家のファミレスのスカートがめくりあがり、あと数cm
と迫る獣の陰茎から秘唇を守るものは、もはや自分の脚力のみである。
  メルヘンチックなふわふわのスカートの中、よじり合わせても隙間のできるか細い脚が痛々
しい。小さなパンティーは、片方の膝にひっかかっていた。
  その犬は、きっとこんな時のやり方を室田に訓練されたのかもしれない。猿が犬を、よりに
よってこんな風に調教するとは冗談としても笑えなかった。
  がぶり――と少女の首筋にくらいついた。
      よだれ     あぎと
大量の涎を流す顎は、皮膚を破らず、しかし確実に股の力を緩ませる力加減を知っていた。
    もくろみ
獣の目論見通り、少女はうかつにも脚の力を解いた。
淫獣が後ろ足を**掻いて、待望の数cmを詰めていく。
まがまが
禍々しい突起物が、少女の肉襞に触れる。
それが閉じた合わせ目を分けようとした時、聡美はたまらずに動いた。
廻し蹴りで、マスチーフの腹を脊椎ごとへし折ってやった。
234 illust (Manami)
http://img18.imageshack.us/img18/2756/vgncarrot234.jpg
Variable Geo light Novel scans

235
あとの二匹の首をむんずとつかみ、少女から引き離す。
頸骨を握り潰し、さらに火達磨にして投げ捨てた。
罠かもしれぬと思いながら、少女を抱きあげていた。
涙でクシャクシャのその娘が、大介とダブったのである。
「よし、よしよし………もう平気よ」
「アーン、マナミちゃん犬きらいイイ………。優香姉ちゃんが、優香姉ちゃんがアア………!!」
「優香が、殴ったの!?」
  マナミという少女はコクコクとうなずいた。
鼻水をしゃくりあげて聡美に体を預け、胸の中で脱力していく。安心が、気を遠のかせたの
だ。うわ言のように小さな声がする。
「マナミちゃん、優香姉好っきやから、黙って通したったんや。そんでもう帰ろう思ったら、
後ろから……ヤメテ言うたのに……」
  聡美がつぶやいた。
「もう………あたしの知ってる優香は、どこにもいない………」
« Last Edit: November 19, 2009, 02:16:49 pm by Satoru182 »

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #37 on: November 16, 2009, 10:45:34 pm »
236           8


最上階は、星夜と満月が一望できる造りだった。
三方の壁は取り払われ、太い三本の柱で支えられている。
                           うるし
優香の正面の一方だけが重厚な壁でふさがれており、表面の漆塗りが空をきらきらと映して
いるが、むろんそれは人工の星座たちだ。
大きな祭壇に鹿取大明神が祭られている。全く良くできた皮肉としか思えないのは、その前
に座しているのが人間ではなかったからである。
「室田奈美恵さん………だったよね、確か」
優香は、月に照らされた獣人を睨んだ。
室田は、きちんと人の面を持っていた。
しかし、首から下は強い獣毛が密生し、乳房のふくらみだけを露出しているのだ。
           あぐら                        ざくろ
  そして、もう一つ、胡座をかいた股ぐらにも毛がなかった。陰唇は熟して落ちた石榴の色を
していた。
「月夜優に会いたくなかったよ。狼女になんて」
237
「狼ではなく猿だ……」
疲労を隠せぬ優香の声に、大**猿の体の室田が答える。
「……おまえを十年以上も見守りつづけた猿忍軍の頭よ」
「見守った?」
「そうよ、我々は永い間嘉島家に仕えてきた。当初は、おまえを捕えようとする者共を討ち、
                            こうちやまこげつ
首尾よくいけば手に入れるのが目的だった。しかしおまえの祖父、河内山孤月とその門弟は強
く、我々といえどそれは果たせなかった」
「嘉島………やはり、レイミの敵。でも、もう一つの勢力というのは何?」
「わからぬか――謝華家よ。レイミお嬢様からは知らされておらぬと見えるな」
「!?」
優香は混乱した。レイミの煮え切らない横顔を思い出す。
「お嬢様にも全貌が計れぬ謝華の姿があるのだ。この国を裏で動かし、今世紀に入ってからは
世界を丸ごと手にしようとしている真の謝華が………」
「レイミも知らない、謝華……」
「我々は、嘉島をたばかり、謝華につくことにした。謝華は暗い月の下でしか生きられなかっ
た我々に、太陽の下でも生きられる体を下さったから………こうして、自在に人と獣を使い分
けられるようになった。故に、今は謝華配下の猿よ」
絶句する優香に、今度は背後からの声が言った。
238
「そう………謝華への手土産に八島聡美を手中に入れる。あの娘は、武内優香に劣らぬ逸材だ
から。そのために、猿忍軍はボクと組んだってわけよ」
その声は、自分自身としか思えないものだった。
                     ちょうしょう
振り向いた優香は、己の嘲笑を発見していた。
四階には、梁瀬かおりが倒れていた。
彼女は全裸で逆さ吊りにされ、全身に鞭で打たれた傷があった。
気を失わずにいたのは、頭に血が登ったせいだった。
  やはり彼女も、優香と闘えずに道を開けたと証言した。そして、三階の少女同様、背後から
蹴り倒されたのである。
その非道を知った聡美は、階段を駆けあがる時間さえもどかしくなった。
灼熱の炎で天井に穴を穿ち、黒い穴へ向かって飛び上がった。
「優香!」
今にも火を放ちそうな聡美に、優香は言った。
「ボク………もう限界だよ、聡美。この猿女、強い………」
優香がどうと前のめりに倒れていく。
239 illust (Yuka & her clone)
240
その前にのっそりと立つのは、憎らしい猿の化け物である。
「下の女の子たちを可愛いがったのは、全部おまえの仕業か」
室田は、肉欲に支配された舌で唇をなめた。
つや      きょうせい                やから
艶っぽい嬌声が返る。前日の山でのような人語も喋れぬ族ではない。
「フフフ………どの娘も美味しかった。みんなこの尾で開発してあげた………。でも、あなた
の方が上だった。さあ、もう一度この胸に――」
室田が獣の脚力で床を蹴る。
同時に、倒れていた優香も姿を消していた。どちらかへ跳ねて、死角へ移動している。
聡美は油断などしていなかった。
               かわ
室田の突進を躱し、目に見えない優香の攻撃をも見切った。
優香は、最上階を支える柱に飛び、そこから返って聡美を襲ったのだ。
「くらうか、三角飛びなんか!」
躱す動きは、聡美の反撃の始まりだった。
右後方からの足力に空を切らせ、聡美もまた、飛んだ。
突っ込んでくる室田の肩を蹴り、その反動で逆襲の三角飛びで応酬したのである。
優香は両腕をクロスさせ、堅固な十字受けで蹴りを受けた。
聡美の蹴りは優香を最上階の床の端まで吹き飛ばしていた。
落ちるちれば、地上五階から地面へ真っ逆さまだった。
241
「優香………もうダマされやしない!もう誰も信じない。焼き尽くして、大介を連れ戻すの
よ!」
優香は悪びれる風でもない。
神棚をさして笑いながら言う。
「大介はそこの裏の部屋にいるよ。でも、あんたには、ボクを焼くことなんかできない」
聡美は敵二人から距離をとり、構えた。
「本当のあたしの力を見せてやるわ。この型が終了するまで待つ気があるなら」
――内歩道初段。
聡美は、この型を演じきった時、己の能力が最大となることを知っていた。
(もうすぐ午前0時……月齢十四・八の満月を迎える)
満月の夜にこれを試したことはない。炎はいつも聡美の望むものではなかったし、何か途方
もないことが起きそうな気がしていたからである。
優香は、聡美が型をやり終えるのを待ち、それから言った。
「なるほど、その型が、あなたの帯電体質を高めてるんだね。特異な筋肉構造に加えて、その
型が、たぶんあなたの体内に発電器官を造り上げた………発電魚のように。だけど今夜は、月が
聡美の味方をするかどうか――」
「?」
優香がさっと手を上げると、人工の空に異変が起こった。
242
思いもしない天変地異であった。
月が、野外同様に丸く太った月が、見る間に光を絞っていく。
右から欠けた六日月になり、すぐに半月に変わった。
                          むしば
半月の直線部分を、暗い闇が蝕みはじめる。
やがて鋭利なナイフを思わせる三日月が現れ、すぐに新月が訪れた。
          あらが
聡美は、抗えぬ力の放散のため、急激なめまいを起こしていた。
「月が………」
「ここは特殊な素材で月の光を完全にシャットアウトできるの。もちろん、本物と同じ月光を
照射することもできる。月が人体に与える体内水分の膨張も、全てをそのまま再現できるの。
……甘かったわね」
  ペタンと尻をつき、聡美は情けない女座りになった。
優香は、勝ち誇るように上から見下ろしている。
「ハハハハ、ボクは完璧主義者なんだ。120%の勝算がなきゃ、火を吹く怪物となんか闘う
ものか。君の知らない血液の謎だって、かなり解析されているんだ。十一年前の事故の時のカ
ルテも入手したよ」
「ウウウ」
「君と似たような人体発火現象を、徹底的に調べつくしたよ。焼け死んだ彼らはほとんどが君
と同じ月に導かれる者たちだったんだ。彼等と猿忍軍の者たらとは、良く似た血を持っていた。
243
やっばり、同類なのサ。フフフ」
  聡美は絶望的な思いでそれを聞いた。それでも耳をふさぐことはできなかった。
「猿忍軍の獣人化はね、月光に反応する特殊なポルフィリン症の一種だ。ポルフィリンの中間
代謝物が、月光に含まれる紫外線のエネルギーを吸収し、それを放出する。常人なら水ぶくれ
や発赤となるものが、猿の血脈では獣人化を引きおこすのさ………。そして、あんたの場合は、
発電能力であり、バランスを崩した体液の燃焼率アップとなっている」
優香は楽しそうに聡美の体を蹴りつけた。
「ふふん――こんな体がとんでもないお宝だなんてね」
「クウ……」
「君の特殊なポルフィリン症は、次世代のクリーンエネルギー開発に役立ちそうだよ。ポルフ
ィリンの光増感作用によって水素発生反応が高まる……。つまりその血の能力を増幅できれば、
膨大なエネルギーを生み出せるかもしれないのさ。ついでに教えてやろう――水素はスッゴク
可燃性が高いんだ。体外へ流れたそれは酸素の力でさらに燃えやすい。どう……謎がわかって
うれしい?」
せせら笑う優香の体に、一切の傷がないと知ったのはそれからだった。
                                いや
自分のつけたはずの深手のほどは、それこそ満月時の聡美や室田以外に癒せるはずもない。
「優香………あんた、誰?」
「ボクはね――優香の姉妹だよ。そうね、妹かな。血をわけたというよりは、細胞をわけた、
244
といった方が今風だよね」
"クローン"という単語が、聡美の中に導き出された。
「案外頭のいい君なら、そんな技術が今後の世界を変えていくことは知ってるね。そして、ボ
クがその次世代科学の申し子――世界初の成功例。本物をこえるくらい強く優秀な個体なんだ」
「そ、そんな………」
  謎が、解けた。
巨大な暗黒を持つ背後のことは知らなくとも、自分が罪もない優香を憎み、その偽者に見事
に操られていたことがわかった。
優香の顔をした悪魔の産物が言った。
「優香と同じメニューの食事をとり、優香と同じ技を仕込まれたよ。使う石けんもシャンプー
も、靴も机も毛布も同じ。優香が犬を飼えば、あたしも同種の犬を………物心ついた時、そん
な生活が全て実験と知ってショックだった。本体にどこまで肉迫し、どこまで寿命がもち………
臓器の発達に異常はないか、免疫機能に弱体化はないのか………」
  そんな彼女の生活が、今回の一件で聡美にとっての悲劇でもあった。
環境の差で人格も発育も違ってくるという。
しかし、体に入れる栄養素も何もかも同じならば、流す汗も体臭も、聡美すら区別できない
までに重なり合う可能性があったのだ。
人は生まれて数年の生活空間の温度や湿度などにより、汗線の状態がきまる。汗の流し方が、
245
それで決定されるのだ。放出される老廃物の量は、体臭の違いとして現れる。
常人の嗅覚をこえた聡美には、それがわかる。だが、優香と"優香"は全く変らぬ体臭だっ
た。それが仇となって聡美は優香を疑うはめになったのだ。
「あんたが嫌いよ、聡美。あたしと同じ体を持ち、何も知らずに幸福に育ち、心で結ばれた友
人を持つアイツ………。アイツが一番大事にするあんたが、嫌い………。VGの女共も大嫌い
………」
  聡美は自分と似たような目だな、とその時思った。
  良く見れば、その大きな瞳の中のぶすぶすとくすぶる暗いものは、自分が最も嫌いな炎の揺
らめきに似ていた。
室田が、後ろから毛むくじゃらの腕で聡美を抱いた。
そして、女子高生の滑らかな頬で、聡美のうなじをこする。
「殺しはせぬ。弟も無事に返す。われらと共に生きよう………。我らが憎しみあう必要はない
………同じ苦しみを耐えてきた同朋だ」
優香と同じ声が、室田に続いて冷たく言い放つ。
「それがいいよ。おまえみたいな悪魔の子は、室田の夜のお伴にぴったり。他に釣り合うやつ
はないよ。一生飼われるしか生きる道はないんだ」
聡美は、長い沈黙を破った。
「一つだけ聞かせてよ………三日前、大介と本当の優香は………」
246
全てはこの二人の策と知っても、たった一つ解けない謎が残っている。
あの銃の臭いである。
クスクスと笑った。聡美がそれを聞いた時の痛みがわかるからだった。
「優香はね、大介をイジメから救おうとしてたんだ………それで――」
聡美も大介が学校でイジメられているのは感じていた。
  テレビもないような生活では子供たちの話題についていけないし、生来の泣き虫もその要因
だろうとは思っていた。
しかし、強くなってほしいと願うばかりで、どうにも手が出せなかったのだ。貧しさを脱し
               あきら
ない限り、何もかわらないのだと諦めていた。
「あなたがこの街でモメごと起こしたくないだろうってネ………」
優香は大介にイジメの相談をされて、イジメッ子のボスの家へ文句を言いに行ったという。
正面から親に談判すればわかってもらえると思うところが、いかにも優香らしい。
その子の父親はしかし、ヤクザ者だった。
覚醒剤を打っていて、放っておいてもじきに事件を起こす寸前のところに優香は抗議に行き、
銃で打たれたのだ。その父親は駆けつけた警官に逮捕され、優香は事情聴取を受け、館長に引
きとられて道場へ帰ったというわけだった。
事の真相を聞き終えたその時、鹿取大明神の掛け軸と祭壇が、大音響と共に砕けちった。
神棚の向こうの部屋に閉じこめられていた優香の仕業だった。むろん、本物の優番の気吼弾
247
であった。
「聡美………、大ちゃん、元気だよ」
                                  せ
傷だらけの優香が、激しく咳き込み血を吐いた。その腕の中には、涙の跡を頬につけ、それ
も枯れ果てた大介がいる。
「おねえちゃん!」
走り出そうとするその体を、優香が必死におさえる。それすら今の優香には、大変な労力だ
ろう。体に無傷の場所はないように見えた。
「おーい、早くそいつらやっつけてよ。今の聡美は無敵でしょ………」
「おねえちゃん、勝って!ボクもやる!やっつけてやる!」
大介は今にも優香の手を振りほどきそうだった。
勇ましく叫んで、室田と"優香"に罵声を浴びせるのだ。
聡美がこれまで見たこともない大介がそこにいる。
無事を喜ぶより先に、聡美は大きな衝撃を受けた。
「ボク、優香ねえちゃんと約束したんだ!強くなって聡美ねえちゃん守るって!イジメッ
子にももう負けない!おねえちゃんに心配かけないって!」
  聡美はこの時、この世に生まれて果たすべき仕事を、全部やり遂げたと思った。
  大介が、知らぬうちに強くなっていた。
  両親の顔形さえ覚えていない赤ン坊は、未熟児で体が弱かった。いつでも学年で一番チビだ
248
ったし、女の子に泣かされることもあった。
                 たくま
いつまでも子供だと思っていたのが、逞しい少年に見える。
  弱くても立ち向かっていく勇気を、自分が知らないうちに身につけていた。
(あの大介が、巣立とうとしてる……)
聡美の体から、スッと何かが抜けていく。
「優香………大介をさ、神主さんに頼んどいてよ。大介………おねえちゃんの代わりに、優香
を守れるような男になってね」
哀しいのだか嬉しいのだか、誰にもわからない微笑みだった。
  聡美の体に空いた隙間を埋めるように、新たに満ちてくるものがある。それを感じたのか、
室田が聡美を抱いた腕をほどく。
しかし、それより早く、前腕の毛の中に聡美の指が滑り込んでいた。
「離さないよ、室田さん。あたしが欲しかったんでしょ」
聡美が立ち上がった。
優香のクローンも、初めてたじろいだ。
殺気にではなかった。
聡美は今、誰かを叩きのめすような闘気がすっかり抜けおちていた。
「一緒に行こうよ………」
「?」
249
  ささや
その囁きには、気のおけない友人をショッピングに誘うような自然さがあった。
そして、その手をとった。
動作には闘気どころか精気がなく、それでクローンは反応しそこねたのだ。
「生きるの楽しくないでしょ、"優香"」
聡美は、室田と"優香"を*掴んだ手の中に、急速に上昇する熱を持ちはじめていた。
「まさか………新月のはずなのにっ」
                         ちり
"優香"はどこからともなく聡美の体に引き寄せられる塵やほこりを見た。
聡美の類い希れな帯電体質が、それを引き起こしている。
そして、その体から強力な静電気のスパークが発生した時、聡美は自分の血を燃やすのであ
る。
"優香"と室田は、寒気をもよおした。
「そんなはずはない……満月の作用と月経のストレスが重なった時でなければ血液中の可燃物
質は燃えないはずよ!」
  一般的にいう急性ポルフィリン症の場合、遺伝的要因に加えて、様々な誘因が加わって発症
することが多い。
  聡美の生い立ちには、その誘因がいくつも存在した。
  過労、飢餓、月経、外傷、過度のストレス。どれもに帯電体質が加わることで、恐るべき火
能力が誕生したのである。
250
  それもしかし、月光の与える化学変化が前提だった。満月を過ぎて月経が止めば、傷口から
の流血も微量なものとなるはずだった。
  それなのに今、聡美の体のあちこちから、鮮血が流れている。潤との闘いで出来た傷だ。す
でに前に固まっていた傷口が、だくだくと鮮血を吹きこぼしているのだった。
  血液中のフィブリンという溶解物質が、血を固まりにくくさせている証拠だ。
  これは、月経時の特徴として周知の現象である。
「ときたま………新月に来ちゃうんだ。調べてないの?あたしそういう時、すっごいブルー
になるって」
「離せ!」
"優香"と猿が叫んだ。
  聡美が、激しい身振るいをおこす。
  体内の電流は一気に数十万ボルトに上がり、雷鳴のように轟いてスパークした。
  スパークの火花が、血液を炎に変えていく。身振るいで飛んだ血を浴びた者は、火達磨とな
るしかなかった。室田と"優香"の叫びは、立ち上がる火柱が掻き消していた。
「聡美!」
  本物の優香は、レイミの推理を思い出していた。
               しんぴょうせい
  どれほどの信憑性があるかは不明だが、新月の時期は満月に次ぐ放火犯罪の増加が報告され
ている。
251
  そして――自殺が多発するのが新月だともいう。
「やっと行けるよ、父さんと母さんの居るところへ………。優香、大介……サヨナラ」
  自らも炎に包まれた聡美の声なのに、優香や大介にはよく届いた。
  人体発火現象について事故や他殺の可能性が全くゼロとはいいきれないし、最近ではより科
学的原因も考えられている。密室において、何らかの原因で火に包まれたとき、空中の酸素減
少により、周囲の物に火が移ることもなく、くすぶりながら人の体だけを焼き尽くす可能性が
考えられる。
  これは、全く有り得ぬことではない。
  人体実験こそできないが、多くの事件の状況はこのメカニズムで説明がつく。
  だが、発火時に何が起きたか、本当のことは誰も知らない。
  唯一の目撃者は、炭化した死体なのだ。
  聡美と死体たちの共通項を、優香はレイミに聞かされていた。
  その中の何人かは、トラブルを抱え、強いストレスを持っていたという。
 アポトーシス                            ネクローシス
「細胞自殺――遺伝子に組み込まれた死のプログラムと、細胞の損傷や病気による壊死。この
二つは全く別のもの。アポトーシスは生のための自殺。いってみれば、使い物にならなくなっ
た細胞を、自殺遺伝子の指令によってRNAを介し、自殺タンパク質がDNAをずたずたにし
て消滅へ導く。それがアポトーシスよ。もしかすると人体発火の死亡者たちは、根本的細胞消
滅を望んでいたのかもしれないわね。もし、聡美さんが、自己存在自体を消しさるべき一個の
252
細胞と考えるなら………死へ向かうアポトーシスを起こすかもしれない」
  レイミはそこで言葉を切った。
  人体の恒常性維持を司る器官は視床下部だといわれている。食べる、眠る、起きる、そして
体温の調節などを担う部分だ。また、電気的、科学的メッセージにより、分泌腺も支配する場
所である。また、恐れや怒りの感情もこの器官で生まれるものだ。
  何者かに対する強烈な恐れや敵対感情は、コレステロール値を急激に上昇させる。コレステ
ロールは、内包性発熱物質というホルモンを多く含むものである。
  これ以上はないという爆発的な怒りが、今、聡美自身に向けられ、体の内側からありったけ
の発熱物質を作動させているのかもしれない。
特異な血液を燃やし尽くしても、その業火は止まりそうもなかった。
聡美を包む炎は見たこともない色をしていた。
いつもの紅蓮の炎ではなく、電気的なイメージの青であった。
Ӗ

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #38 on: November 16, 2009, 10:47:34 pm »
その色は、摂氏1500度をこえる温度を指すものであった。
聡美は室田と"優香"から手を離した。
そして、両者に一度ずつ正拳を見舞った。
内歩道の構えから放つ、超高温の中段突きであった。
                         と
二人の胸には――半ば融かされたような深い穴ができていた。
この世に、これほど恐ろしい突きがあったろうか――。
253
しかし、それを最後に聡美は力尽きていた。
室田は獣の声でもがき苦しみ、"優香"は怨嗟の言葉を吐き続けた。
「おのれ……おのれ……いつの日か、優香よ……」
優香は、燃えさかる聡美の体に駆けよった。
気吼弾のありったけを叩きつけて、炎を消すつもりだった。
  だが、優香の気吼弾は無力だった。表面の炎をいくら飛ばしたところで、聡美の体は芯の方
から無尽蔵の業火を生みだしてくる。
  聡美は死への階段を上りつつ、潤の言葉を思い出していた。
優香は聡美の体におおいかぶさった。そうやって火を消す他、何の術もなかったのだ。
"本当だ。優香の気吼弾は痛くない。気持ちいい……何でそんなことに気付かなかったのかな
……優香"


どれくらい、そうしていただろうか。
優香は、聡美を抱いたまま気を失っていた。
「黒コゲだ………もうだめだな」
「プロメテウスの炎、イザナミの業火………まさか本当になるなんて」
254
優香が目を覚ました時、聞こえてきたのはそんなつぶやきだ。
駆けつけたレイミと潤だった。
優香の体には、大した火傷もなかった。ハンミラの制服もほとんど焼けていない。聡美の青
い炎は、己れのみを焼き尽くす業火だったのである。
飛びおきようとする優香の腕の中に、小さくてあったかいものがあった。
大介だ。髪と服が少しだけ焦げている。
優香に続いて、大介も身を捨てて火を消そうとしたのだ。
「大ちゃん………」
優香はしっかりと大介を抱きしめた。
目を覚ました時、聡美の遺体を見せたくなかった。
「人は火で身を滅ぼし、火の恐ろしさをこえて成長する………優香、泣くのは今はよしましょ
う。大介くんの前では」
「聡美の炎は、おまえらを焼かなかった。自分の分まで強くなってくれ――そう言ってんだろ
うぜ」
レイミと潤の考えた、目一杯のせりふだった。
――その時、
「誰が、身を滅ぼしたって?」
何が、それぞれの顔を見まわした。
255
「優香?」
「え………ちがう、ボクじゃない」
「オレでもねえ」
               な がら
その声は、全身が炭化した聡美の亡き骸の方から聞こえた。
うつぶせの背中が、ぴくりと動く。
             おせっかい
「ったく、御節介のせいで焼け残っちゃったよ。ハンパな火傷が一番痛いのよね………」
顔を見られたくないのか、聡美は優香たちに背を向けたまま言った。
「みんな――ありがと」
そう言って、今度は長い眠りに入っていった。

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Re: Variable Geo light Novel scans
« Reply #39 on: November 16, 2009, 10:49:20 pm »
Final chapter!!

256blanc
257

         生火
       Fhoenix
      ーーーーーーーーー
         終章


258
聡美の枕許に、一通の手紙がある。差し出し人の名前はなかった。

__________________________________________
  僕が聡美さんを初めて見たのはもう六年も前、まだ小四の頃でした。
覚えてはいないでしょう。ここから遠い他県でのことだし、僕は別のクラスでしたから。
ある日、児童公園の砂場でイジメられていた僕を、小さなスーパーガールが救ってくれたの
です。それが、あなたでした。
  お礼も言えず、その後何度か声をかけようとしたけどダメで、こっちの中学で再会した時も、
僕はまだ相変らずのイジメられっ子でした。
すぐに転校していったけど、あなたは前と同じく一直線で、何故だかいつも必要以上に強が
っている気がしました。
  君の噂は、よく知っています。
  そうじゃないことも僕はわかっています。
僕なんか、何も悩む必要ない。もう少し生きていようって、そう思います。
  この学校で三度目の出会いをした時、君は最初僕にもわからないくらい別人を装っていてび
っくりしました。
でも、誰も見てない時のあなたは、あんな風にか弱い人なのでしょうね。全部荷物をおろし
てしまったら、たぶん君はあんな感じの子だろうと思います。
僕はどららの聡美さんも、とても好きだ。
  そんなにビクビクしなくても、みんなにどっちのあなたも見せるといい。
別に問題なく受け入れられるはずです。多少の敵が出来たっていいでしょう。
本当の友達が一人でもいれば、それで充分です。
武内優香さんほどではないけれど、ここに一人、あなたの理解者がいるのです。それだけ知
っておいて下さい。
僕はもうすぐ転校してしまいます。会ってくれとか交際してくれとかは望みません。
  いつか、四度目の出会いをしようと目論んでいます。
そうそう、聡美さんにワルサをしようとする連中には、転校前に天誅を加えておきましょう。
  それが、君へ近付く第一歩です。
  では、またいつの日か。
__________________________________________